「ギターを抱える自分」 |
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(イヤスサ/1960年生/東京) |
毎度のことながら、ギターを弾き語りするのは、「なんのため?」って思ってしまう。一体このことの意味っていうのは「なんだろう?」って考え込むこともある。こんなアマチュアの演奏なんて付き合い以外に聴いてくれる人なんて実際いないであろう。間違いなくただの自己満足であって、一銭にもならないことをやっていても時間の無駄でくだらないのではないだろうか?とも…。そして、しばらくギターはケースに入ったままになり、数日から数カ月に及ぶこともある。それでいても、気が付いたらいつのまにかギターを抱えて弾き語っている自分の姿が確かにある。
そしてそれは、一人部屋で弾き語っているのに満足できずにSPなどのイベントに出かけていくことになっていく。そこで、いろいろな人たちの演奏を聴くことになるのだが、その演奏をさまざまな人の人生を想像して重ね合わせて聴いてみると、確実に感覚の変わった自分になったような気になる。…そういうのは年齢を重ねてそういう歳になったということなのか…?一日、一年と歳を重ねていくが、それは人生の時間であって、同じように刻んでいくのだろう。
ふと思った。それを自分自身の中で、表現出来る世界の機会として、ギターとの出会いがあったのではないだろうかと。そして、人生もそうだけど、速足で進んだり、時には休んだり、泣き笑い、怒り楽しい時を過ごし、穏やかな時間も過ごし、いつでも悩み迷っているようだけど、ギターの弾き語りも直接的ではないけど、それを映しているのではないかなと。
そんなことを思って、考えたが、時の前後で、思いや考えも違うのかもしれない。まあいいか、とりあえず、深く考えずにもう少しギターを弾く自分と付き合っていこう…。これという結論は、出ない。というよりは、結論はその時々で変わり、きっとひとつの答えは出ないだろうけど、それでいいのかな、きっと。そうだろうと納得して、ギターに手を伸ばし、弾き語りそしてまたいそいそとSPなどのイベントに出かけていくであろう。
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