「我が青春とギターの思い出」 |
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(やまひろ/1947年生/埼玉) |
高校生の時は、エレキギターにのみ興味があり、ビートルズとベンチャーズ。
友達にはバンド思考がなく、一人エレキギターを買ってもどうすればよいのか解らず、楽器は買わずに、ひたすらレコードを聞くのみでした。
大学でのサークルの春の新入生歓迎ハイキング、そしてサマーキャンプで、先輩達の弾き奏でるフォークギターに、こんな楽しみ方がギターにあったのかと、驚きでした。
先輩達の弾き奏でる、「白いブランコ、ある日突然、小さな日記そして風、今日の日はさようならでお別れ、等等」憧れの女子大生!達と一諸に声を揃えて取り囲むようにして、時として肩を組み唄う、遅ればせながらの、私の青春の始まりでした。
早速夏休みにアルバイト(一石二鳥を狙って、駿河台下の黒澤楽器店)をして初めて手にしたのはガットギターでした。
ギター教室は敷居が高く、東京ギター音学アカデミーなる通信教育を、申し込み「小原安正先生」のレコードを聞きながら、教則本と格闘した日々でした。
毎月送られてくるテキストが楽しみで、徐々に弾けるようになったものの、歌の弾き語りや伴奏と言った本来の目的は果たせず、「禁じられた遊び」のみが成果らしきものでした。
なんとなく自己満足程度に弾き語れる曲はありましたが、就職してからは、練習もできずに40歳半ば迄大切にしていたギターも、地元のサークルに寄付をしてしまいました。
64才と3ヶ月で年金生活に。65歳の誕生日のプレゼントに家内はあてに出来ず、自分の小遣いでアコースティックギターを奮発。憧れのフォークギターでした。
ギターの先生に習い続けて3年、なかなか納得すほどに腕も上がらず、オープンマイクに挑戦もままならず。
以前から聞き知っていた「戦うオヤジの応援団」の練習会なら、練習効果も上がるだろうかと、当日登録、当日ギター抱えて初参加。
受付で、ナオさんに、私ヘタなんですけどと言ったら「いいんですよ、練習ですから」と優しい返事。
練習会が始まり、皆の上手さに、聞き惚れるばかり。私の演奏は、まともに出来ず反省ばかりでした。
次回の練習会参加は少々勇気が要りましたが、ギターの好きさ加減は皆と同じと自分に言い聞かせ参加しました。
当日は、来て良かったと、皆の演奏を聴いて、来るんじゃなかったと、自分の番で?
後日同席していたゲタやんさんが自分も昨年までは同じでしたから、続けて来て下さいとの有難いメール。
そんな励ましのメールにもかかわらず、前回の練習会は欠席でした。
上手くても、下手でも、一緒に楽しめるそんな「戦うオヤジの応援団」を実践すべく、早期復帰を目指して練習しています。
田舎が、長野県飯田市で祖父母の墓があり、いつの日か南信州SP参加も夢にしています。
これからの「戦うオヤジの応援団」、参加者が益々増え発展する事を楽しみに、今後も宜しくお願い致します。 |
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