「自分のギター歴」 |
|
(くんぼ/1955年生/宮城) |
私は、昭和30年生まれで、今年還暦です。
ギターを始めたのは、1971年ちょうど高校1年の時でした。このときの仙台は、高校すべて男女別学でした。女の子にもてたい一心(邪念)から、ギターを始めました。(良く聞く話です。)
しかし、祖父は明治生まれの頑固者でしたので、ギター=不良という基本姿勢は普遍でした。(笑)そのため、自分の小遣いで隠れて買ったフォークギター(モーリス持てば君もスパースター)を友達の家におかせてもらって練習しました。そんな調子でしたので、上達も望めるはずもありませんでした。高3の時、フォークソング愛好会なるものを友達と立ち上げ、文化祭に向けて練習を加速させました。YAMAHAでバイトもしました。これにより少しは腕を上げましたが、なにしろ高校が中心地より離れていたため、お目当ての女子は、ほとんど来ず、もてたいという野望は簡単に打ち砕かれました。
ところがYAMAHAさんの縁で、某TV局の夏祭りイベントのバイトが入りました。その時のゲストがNSPだったのです。私は、楽屋のお世話係になり、それもNSPさんの係だったのです。その時からNSPのファンになり、NSPの曲を弾くようになりました。こんなに音楽漬けになりながらも、奇跡的に地元の大学に合格し、さあ、これからと意気込みました。
ところが、・・・。大学では、良くある話ですが、入学してすぐにサークルの勧誘に引っかかり(知っている先輩からの・・・)見事、フォークソングとは縁のないサークルに入ってしまいました(これも運命のいたずら)。そのため、大学2年で、フォークギターともお別れ、永い眠りに就いたのでした。(永眠でなくて良かった。)
冬眠から目覚めたのは、今から7年前でした。とあるフォークソングバーに顔を出した時です。32年のブランクというものは、なかなか埋まりません。しかし、あの時代より、ギターや周辺機器がものすごく進歩しました。そのおかげ(他力本願)で、何とかお耳触り程度のレベルまで、たどり着くことができました。今は、仙台市内の何カ所かのフォークソングバーで、陽水や拓郎など70年代~80年代あたりのフォークソングをつま弾いて楽しんだり、NSPのトリビュートバンドのNFPのリーダーとして活動したりしている日々です。
最後に、今、仙台のフォークソング愛好家やライブができるフォークソングバーが、まとまっていないのが残念です。もっと交流できれば楽しいし、レベルUPにもつながるのではないかと思いました。そこで、戦うオヤジの応援団の仙台SPを復活させ、仙台市・宮城県の音楽愛好家を盛り上げるお手伝いができればと考えています。
全国の皆様、少々時間がかかるかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いです。
|
|
|