2016年3月8日
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「フォーク?演歌?歌謡曲? いやいや・・・」
 
(Kin-G/1952年生/東京)


フォークギターに触ったのが、17歳の頃ラジオの深夜放送で岡林信康の「チューリップのアップリケ」を聴いて、なんか脳天に衝撃が走り俺もギター持って歌わねばと、高3の冬休みからギターの特訓をしたのがギターとの出会いでした。

最初のころは、朝目覚めてから寝るまでなんと10数時間弾きっぱなしで練習し、痛む指先にビニルテープを巻いて凌いだ記憶があります・・・・45年以上も前の話です。だからといって格別ギターが上手な訳でもないのですが。

その後上京・就職・転職・結婚ととりあえず人並み?に人生を過ごしてきたのですが、手元にギターはずっとそばにありました。

上京して最初に手にしたのがYAMAHAのFG-350、その後S・yairiを二本ほど(でも当時の給料より高かったですねぇ)、周りにいた人の多くは、マーチンだのギルドだの買われる人が多い中、国産ギター派とうそぶききながら弾いておりました。結局今でもその当時からのS・yairiを使っております。今ではそのS・yairiも純正品は消えたようですが。

つい最近長年の勤めを辞めました。それまでオヤジバンドを10年ほど続けてきたのですが、最近なかなか集まるのも大変で、休止状態となりました。最近はもっぱらDTMバンドでこれまで作った曲を録音しております。でも声の経年劣化がひどくて、つくづくため息交じりの涙ものの毎日です。

とあるとき、小さいライブか何かで歌った時聴いてた友人が「フォークじゃなく演歌ジャン」と一言。本人えらく傷ついたのですがよくよく考えると、東北の片田舎に生まれて岡林の歌にたどり着くまで聴いて育ったのは、民謡や歌謡曲だったし、ラジオやテレビでは三橋美智也に村田英雄・春日八郎・橋幸夫・美空ひばり、都はるみが全盛、はたまた師と仰いだのは、同郷の東海林太郎先生でありました。なので歌う曲はもっぱらオリジナルにして、だれも知らなきゃどう歌おうと自分の勝手だし、フォークでも演歌でも歌謡曲でもいいじゃないのと開き直っています。

若いころの懐かしい歌もいいのfsけれど、過ごしてきた60数年の人生の歌を歌いたいね、何とかがんばってここまで生きてきたものと、そう思っている今日この頃です。

 




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