2016年3月14日
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「ギターとボクのコト」
 
(TOKOMA/1964年生/東京)


「戦うオヤジの応援団」メンバーの皆様、はじめまして。東京都在住のTOKOMA、52歳です。メンバーリレーエッセイ掲載のチャンスを頂きましたので、思うがまま徒然のままに書いてみたいと思います・・・・・

ギターを始めたきっかけって何だったのだろうか?
我が家では、親や兄弟に音楽の趣味があった訳でもなく、レコードを聴く習慣や環境さえもなく、ましてや自分で積極的に音楽を聴くという訳でもいなかった。家の中で聞こえてくるのは、テレビからの歌謡曲や演歌か、祖母がときおり踊りの稽古でかける、てんとう虫プレーヤーからの民謡くらいのものである。

1976年、中学1年生、仲の良かったクラスメイトに誘われて遊びに行った先で、初めてフォークギターに触れた。 あれはいったい誰のギターだったのだろうか?ギターを始めるにあたり、女の子にモテたいとか、あの曲を弾いてみたいとか、決定的な動機があったかというと、そんなこともなく、「ただ、なんとなく」だったのだろう、それでも、何か感じるものがあったのかもしれない。
いつしかその友人達と雑誌「ギターライフ」やら「ギターブック」などを持ち寄り練習するようになった。最初は誰かのギターを借りていたが、そのうちに自分のギターが欲しくなり、オヤジに頼みこんで、最寄の駅にあったデパートのレコード売り場で、一番安かったYAMAHA FG-152を買ってもらった。
そもそも、この仲間は誰もギターの弾けない、ド素人の集まりであった。それぞれ、確固たる目標を持っているわけでもなく、ただ集まってはギターの練習をするという、その行為自体が楽しかったのかもしれない。しかし、1年もすると簡単な曲であれば伴奏できるようになり、合奏したりして演奏そのものに楽しみが変わっていった気がする。

1979年、高校1年生、貯めたお年玉、少しのバイト代と親父からの借金を総動員して、念願のまともなギターを御茶ノ水下倉楽器で手に入れた。K.YAIRI YW-1000である。
少しギターが弾けるようになると、もう少し良い楽器が欲しくなるのは必然であろう。このギターに持ち替えてセーハが簡単にできるようになった。そりゃそうだ。1フレットの弦高がFG-152に比べたら、劇的に低いんだもの。
こうなると、演奏できる曲の幅も広がり、俄然ギターを弾くことが楽しくなってくる。家族の迷惑も顧みず、毎日のように居間で練習した。音痴と罵られた。高校の仲間や中学の仲間達と、学園祭で演奏したりコンサートを敢行したりもした。当時の音源は完全抹殺したため確認のしようもないが、相当に恥ずかしい演奏だったことは想像に難くない。それでも、毎日が楽しかった。

自動車免許を取得し進学したころには流行の音楽も変わり、新しい遊びも覚えた。周りに音楽活動をする友人も居なかったことから、ギターに触れることも少しずつ減った。社会人に成ってからは日々の仕事に忙殺され、ケースからギターを出すことすら無くなっって行った。そして、結婚し子供も生まれて、ギターに触れなくなってから20年あまりの時が過ぎた。

40歳を過ぎたある冬、家族で北海道へスキー旅行に出かける機会に恵まれた。宿泊先の富良野プリンスで行われる、チャペルコンサートの入場チケットをツアーのオマケとして、パンフレットと共に頂いた。ラインナップに谷山浩子さんや沢田聖子さんの名前もあるが、滞在期間中にはコンサートのスケジュールがない。当時幼かった息子に誰のコンサートが見たいか尋ねると、ソロギターの人が良いという。そのアーティストの名前は聞いたことがなかったし、クラッシックの人なのかなと思ったが家族で会場に赴いた。
コンサートが始まる。その出音に衝撃を受けた。たった一人で弾いているのに、とても厚みがあって幻想的で、美しいメロディーと伴奏。それまでギターは伴奏楽器という認識しかなかったが、ギター一本で成立する音楽があることを知った。当の息子は2曲目には爆睡モードであったが、それほどに心地よい音のシャワーであったのかもしれない。自分はスキーの疲れも吹っ飛び、演奏者の手元を食い入るように見つめた。岡崎倫典さんである。それが僕のギター熱再燃のきっかけとなった。

あれから10数年、まだ僕のギター熱は燃えている。ソロギターライブにもたくさん出かけ、いろいろなスタイルがあることを知った。ソロギタリストやギタールシアーなど、音楽、楽器関係の繋がりもたくさんできた。自身が所有するギターも複数本になった。中には妻には言えない価格のものもある。インスト曲も少しは弾けるようになった。人前で演奏させてもらえる機会もできた。そして最近の事、一人でユルユルとソロギター演奏を楽しんでしたが、3年半ほど前から、中学1年の時に一緒にギターを始めた仲間の一人と、再びバンド活動を始めた。
彼とは、つかず離れず折々で酒を酌み交わす関係であったが、地元の音楽居酒屋で知り合った同年代の呑み仲間1人を交えた3人で、軽い洒落のつもりでフォークトリオ始めたのである。その居酒屋の周年記念ライブに出演するための1回だけのつもりだったのだが、これが実に愉快なのである。1人でギターを弾いて唄ってというのも楽しいが、仲間との演奏は格別だなと思った。やめられなくなってしまった。オッさん3人なので華も色気も無いが、最近では各所から演奏オファーを頂くことも増えてきた。そのバンド名は「縄文人」という。
ヅラを被り笑ってもらってナンボのユニットである。昨年には何を勘違いしたのか、とある自治体の縄文遺跡のお祭りに呼んでいただいた。担当者は懲りなかったのか、なんと、今年のお祭りにもオファーを頂いてしまった。今年の年始早々には、地元団体の新年会の余興にと、呼んでいただいた。他にもライブハウスなどでも演奏させてもらっているが、聴いてくれた方々に「楽しかった!」と言っていただけるのは、本当にうれしい。
演奏が上手いとかカッコよかったとは決して言われないが・・・もちろん、聴いてくれる方々に楽しんでもらうことを目標に演奏しているが、「演者が楽しくなきゃ伝わらないでしょう」ということで、自分達は思いっきり愉しませてもらっている。自分達と同年代の方が聞き覚えあるであろう楽曲を題材に、替え歌にして唄ったりしているのだが、なかなかウケが良い。このネタを考えるのも楽しい。オッさん3人集まって、ただただ楽しくバカなことばかり考えている。自分達にとって「くだらねぇ~!」と言われるのが最高の褒め言葉になりつつある。

僕は今年52歳になったが、このような歳になってくると、日常生活や社会生活の中で、辛いことや苦しいこと、悲しいこともたくさんある。病気だってある。それでも、ギターを抱えて唄って笑える時間を持つことができる自分は、つくづく幸せだと感じる。ギターを介して、仲間や繋がりもたくさんできた。ギターそのものというより、ギターによって作られた縁は、自分にとってかけがえのない宝物なのである。高校1年生の時に手に入れたYW-1000は、いまだ相棒だ。

・・・・・本当に徒然なる訳の分からない文章になってしまいましたが、僕も含め人生折り返したらいつ何があるか分かりません。残りの人生、まぁ色々と面倒なコトもあるけどギターでも抱えて楽しく笑って行けたらと思っております。
「戦うオヤジの応援団」メンバーの皆様、どこかで「縄文人」に遭遇した際には、是非「くだらねぇ~!」と笑ってやってくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




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