2017年2月28日
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「手を伸ばせばすぐそこにあるもの」
 
(まる助/1963年生/福井)


この度はリレーエッセイを書くという機会を与えて下さり、ありがとうございます。拙い文章ですが思うままに書こうと思います。

僕がギターに初めて触れたのは中学1年生の時で、友達がモーリスの安いのを学校に持ってきていて、少し触らせてもらったのが最初でした。

折からのフォークブームで、かぐや姫、吉田拓郎などをみんなが弾こう、歌おうとしていました。
私も自分のギターが欲しくなり、通信販売で確か、カンサスというメーカーのギルドをコピーしたモデルを最初に手に入れましたがあまり気に入らず、どこへやってしまったのかも思い出せないという始末です‥。

その頃、友人がキャッツアイのギターで、マーチンのHD-28のコピーモデルを買い、それに触発?されるような形で今も弾いているSヤイリのYD-304を買いました。
井上陽水が使ってるからとか、そんな予備知識は全くなく、大金を握りしめて楽器屋で即決でした。

当時のヤイリはKとSが真っ向から対立しながら店頭を飾っていましたが、根暗な私にはKのパールインレイと煌びやかな聴こえる高音の強さと外観に馴染めず、店員さんの勧めもありSを選んでいました。
なぜか弦はダルコではなく、GHSが張ってあったのは、楽器屋さんで張り替えられたのかもしれません。

あれから40年の時が流れ、今思えば、このYDをもっと大切にしてあげれば良かったと後悔しています。
買って数年もしないうちに、しばらくエレキのストラトキャスターにハマってしまい、その間親しい友人に貸し出していたのですが、彼の逞しい爪と猛練習の痕跡が指板にしっかりと残ってしまいました。

また、海辺に持ち出したり、家の中で転倒させたりぶつけたり‥。さらに、自分で適当にサドルを削ってみたり。
案の定、オクターブピッチが合わなくなり騙し騙し弾いていました。

昨年、あまりの音の狂いに辛抱できなくなり、ご存知の方もおられると思いますが、京都府向日市の柾目ウッドメーカーさんに持ち込んでネック調整とナット、サドルの交換調整をして弾いているのですが、そろそろフレット磨耗が限界に近づいており、夏くらいにはリフレットをと思い、コツコツ貯金しています。

どんな楽器でも、永く使っていると愛着が募り、また、奏でる音楽の中には過去のいろんな記憶があるものです。
また、楽器というのは極端な話、足腰が立たなくなっても耳が聞こえて両手が使えれば演奏することができますし、生きている限り弾き続けて、機会を探していろんな人の前で演奏し、人も自分も癒されるように励んでいきたいと思っています。

ギターは、一言で言えば、"味"ではないでしょうか?
弾く人の味がすべてで、それ以上も以下もありません。
また、国産のギターはブランドイメージこそインパクトはないものの、海外のギターより真面目に、見えないところまでしっかり作り込まれているものが多く、良い材料が豊富に使えた70年代のものなどは探せば比較的簡単に見つけることができ、ネックやサドル、ナットなどは後からいくらでも比較的安く直すことは可能で、何十年もの間弾きこまれているのでよく鳴るものが多くあると思います。

音にも、演奏スタイルにも皆それぞれ個性があり、何が一体自分も人も癒せるのか?という答えはないと思っています。
基音に芯があり、適度な倍音、腹に響くしっかりした低音があるレベル以上出て抱えやすくグリップしやすいもの、木のデザイン、色、質感などが自分の好みに合いさえすれば、作られた国やブランドなどはどうでもよいと思っています。

それこそ一生、いえ、孫の代までも、大切にすれば残っていくもの、それがギターです。
そんなギターは、手を伸ばせばいつもそこにあり、普段の生活の空気や音を何も言わずに聴きながら、弾かない時でも自分とともに成長しているのではないでしょうか?

たとえ自分が落ち込んだり、病気で元気がない時でも、毎日触れて、眺めて、音を出してあげる。
短時間でも、毎日の積み重ねというのは素晴らしいものです。
何本も所有するのもいいですが、自分が本当に納得する1本を手に入れ、一生弾き続ける。
これこそ、ギターが泣いて喜ぶことではないでしょうか。

なんか、かっこのいいことばかり書いてしまいました。
もともとはギターは歌の伴奏のための楽器ですが、今はソロギターとして楽しむ人も多く、僕もその口です。
ギター愛好家の集まりも楽しいものですが、そこを超えて、地域のために役立つようなギター弾きのおじいさんになれたら‥
そんな夢を持ちながら今日も弾くのだろうと思います。

 


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