「ギターを弾きだしてそろそろ40年」 |
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(JACKSON/1960年生/北海道)
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水田農家の息子が突然エレキを買ってくれと親に言ったのが中学2年、普段ならダメダ!と怒り出すところがすんなり買ってくれた(今となっては大感謝)。初めてのステージは中学校2年の学祭『キャロル:ファンキーモンキーベイビー』リードギター担当。今のようにチューナーなんか無い時代、きっと恐ろしく音が狂っていたに違いない。
その後、妹が買ったアコギを勝手に使って高校3年の時?新入生歓迎会で初めて歌った『EAGLES:TAKE IT EASY、BEST OF MY
LOVE』体育館の一番後ろで憧れのあの娘が見ていたのを鮮烈に覚えています。
本気で歌に取り組み出したのは大学時代、フォークソング研究会に入部、メインボーカルとなる。柳ジョージに憧れながらも、そんな雰囲気も出ず、大学4年の時、本格的なバンドを組んで、浜田省吾、J-WALK、JACKSON
BROWNE、BRUCE SPRINGSTEEN、EAGLESなんかを演ってた。自分のボーカルにコーラス3人という贅沢なバンドでした。
社会人になると、音楽からしばらく離れてしまうのだが、ギターだけは何かしら持っていた。30歳でギブソンDOVEを買い、いつかカントリーでもやろうと思っていた(憧れはケニーロジャース)。TVで見た『PURE
COUNTRY:主演 ジョージ・ストレイト(ナッシュビルカントリーのスーパースター)』を機に北海道のカントリーウエスタン業界に殴り込み?、本格的にカントリー楽曲をコピーし、ウエスタンネームをJACKSON(アラン・ジャクソンからもらう)とし音楽活動を本格的に再開(ほぼ弾き語りスタイル)。
ススキノのライブハウスでカントリーを演っていた時に、店のマスターからフォーク系もやれるよねと誘われ、『フォークジャンボリー』という音楽イベント立ち上げに協力、毎年野外夏フェスもやるスゴイ店です。そして弾き語りや即席バンドをやりながら(カントリーは自然休止)約20年が経過。
2010年ー2013年オヤジバンド『G-GLES:イーグルスコピーバンド』で活動、弾き語りスタイルも継続。しかしながらバンドは自然活動休止。数年前、先輩より『ジョーちゃん演れよ』のリクエストで『ヘイ・ダーリン』を弾き語る。終わってみると以外と高評価、20代では歌えなかった歌も年季が入り雰囲気が出てきたようだ。
50歳を過ぎて歌うことがますます楽しくなっています。この度『戦うオヤジの応援団』に参加したのは、マンネリ打破とどこまでやれるか試したかったからです。オリジナル指向はゼロ、忘れていた実力派歌手の名曲で、誰も歌ってくれないクセものソングを歌い継ごうと思っています。現在の愛機はGIBSON:CHET
ATKINS SST。
音楽人生を駆け足で振り返って見ました、ギター1本でも何故かROCKになってしまうJACKSONでした。 |
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