2017年10月4日
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「音楽との出会い、ギターとの付き合い」
 
(ブラザーO/1961年生/静岡)
 

思い返せば、小学6年生の春、音楽との出会い=ギターとの出会いでした。
(勿論学校の音楽の授業以外で、、、、、)
年長の兄弟のいる友人の影響で、フォークソング&深夜放送に目覚め、貪る様に岡林信康、泉谷しげる、吉田拓郎、南こうせつ等を聞き漁り更に、その方々がルーツとして語る海外のPPM、ボブ・ディラン、CSN等を聞き漁ったものでした。
その当時の音楽情報収集アイテムは、もっぱらラジオ!!
小遣いの少ない田舎の子供には、LPレコード等も年に数枚しか買えませんでした、、、、
(当時のフォークシンガー達は既存のテレビの歌番組に出ることを拒否していて、またそれがカッコよかった!!)
当時の愛器は河合楽器の作っていたロジェのハミングバードもどきでした?!

その後ラジオもAMからFMへ、そしてブルーズロックとの出会い!!
クラプトン、ベック、ペイジの三大ギタリストは勿論でしたが、自分のフェイバリットは、<ジミ・ヘンドリックス!!>
彼のギターを聞いた瞬間、体はフリーズし後頭部を真っ赤に熱した鉄の棒で殴られたような、、、、、
そして口の中で忘れない様に
「ジミ・ヘンドリックス、パープルヘイズ!!」
「ジミ・ヘンドリックス、パープルヘイズ!!」
と唱え、次のお年玉でこのLPを絶対買おうと心に決め、高校入学と共にエレキギター(グレコのストラトモデル)を買い、高校、大学とブルーズロックのコピーバンドで、下手なギター&ボーカルとして活動、、、、、
しかし、当時のロックミュージシャンもアルバムにアコーステックなナンバーを入れ、また、彼らのルーツとなるブルースミュージシャンとして、ロバート・ジョンソンの名を挙げる方々が多く、やっと見つけたロバート・ジョンソンLPに針を落とした瞬間にまた電撃に打たれて、、、、、

やがて社会に出て、バンド活動も無くなり、一人アンプラグドでギターを爪弾く日々が続き、結婚し子供が生まれ、かつての悪友達と家族連れでBBQを楽しむ折に、誰彼ともなくアコギを持ち出し、それがもとでアコースティックに拘った、ジャンプブルース風のバンドを、、、、(ほーるもん・ブラザーズ・バンド)
しかし社会人のおっさん達の悲しさ、ライブの企画やイベントに招待されても、メンバーの都合がつかず、仕方なくピンでの弾き語りで穴を埋めるうちに、様々な素晴らしい方々との出会いがあり、ついにはこの「戦うオヤジの応援団」との巡り合いとなり、意を決して参加させて頂きました。

長文にお付き合いいただき有難う御座いました、どうぞ宜しくお願いいたします。



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