生まれて初めてギターを手にしたのは、大学に入ってからでした。
高校時代はいわゆるテケテケサウンドでベンチャーズの物まねしてTeiscoのエレキを弾く彼らは、いわゆる不良の類に見られてた、そんな時代でした。
そこにベトナム戦争、アメリカから反戦歌が流れてきました。 ♪ We shall overcome ♪
日本の学生も反戦の波に飲まれて行き “ベ平連” などという団体が持てはやされ、僕の通った大学も判定額表(文字変換ではこれになった)、いや反帝学評によって表門を封鎖され、ゲバ棒を持った彼らと僕も対峙したほろ苦い記憶があります。
そんな中でアメリカの反戦歌は、Peet Seegerを中心に、やがてPeter Paul & MaryやJoan Baez、そしてThe Brothers Fourといった柔らかなAmerican Folkへと流れて行きました。 日本では裕福な私学出身の学園歌いわゆるCollege Folkから、反戦や反体制をうたい上げた関西Folkへと流れて行きます。
そんな学生時代にローンで買ったのがYamahaのFG180、ずっとYamahaの弦を張っていましたが、ギターは無理でもせめて弦だけでもと、MartinのLight gaugeを1,500円で一度だけ奮発し、その音色の素晴らしさを体感し、いつかギター本体も欲しいと夢に描いて68歳になりました。(当時のYamahaの弦は1セット500円しなかったと思います。)
これまで歌って来たのは、PPM,The Brothers Four,五つの赤い風船、日本のカレッジフォーク・・・今考えると闇鍋の世界でしたね。
未だにギターは上達せず、人前で一人弾き語りは出来るレベルにあらず、さりとてフォークギターの音色と、郷愁の歌詞に魅かれて未だに下手くそ練習の真っ最中。
いまは、女性とのDuoを組んで日光(今市)のDaddy’s Café(http://daddys-cafe.com/)で定例イベントに出ています。
レパートリーは“イムジン川”から“未来へ“ まで種々雑多。
昨年念願の大きな家を購入しました、中古ですが2階の踊り場が広くて、写真のようにミニライブ出来るようにセットしました。観客は椅子だけですと10名程度は十分に可能です。
勝手につけた名前はHootenanny House M です。
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