2019年9月21日
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「私とギター」
 
(我光/1955年生/岐阜)


私の父と母が結婚した時に父は母にギターを買って貰ったらしい。ナショナルというメーカーのかしまし娘が持っているようなギター。それでハワイアンやラテンを弾いていた。バントを組んでダンスホールでバイトもしていたらしい。

小学校の入学式の日に父に 「ギターを教えて!」と言ったら次の日、ギターにドレミファと紙が貼ってあった。その時の父の嬉しそうな顔が忘れられない。「これは、あくまでCのドレミや」と言われ、それからオヤジと毎日基礎練習。でも習ったのはそれだけ。

小学校の5年生から私は「鍵っ子」になりました。大阪の吹田市に引っ越し、両親は神戸の仕事場に通い、両親の帰りが遅い時は一人でギターを弾いていました。歌謡曲でした。
一度、中学生の時に文化祭でグループでお笑いショーをした時に親父のギターをみんなの前で弾いたのですが、かしまし娘のギターが恥ずかしくて恥ずかしくて・・。親父ゴメン。

26歳の時に新しいギターを買おうと。当時、私はサンフランシスコに学生という身分で生活していました。近くの本当に小さな楽譜屋に行きギターが欲しいと言うと、2本のギターを持ってきてくれました。1本はマーチン、もう1本はマトン 。マトンの方が良い音した!
これください。マトンを持って帰ろうとした時、「ちょっと待って!」やっぱりマーチンにする。
理由は無し。 でも今、後悔は無し。

37歳の時、結婚し男の子2人。
子育ての時はタンスの上に。
でも大きくなってきたらギターの練習。毎日、10曲くらい同じ曲を弾きます。その10曲の中身が年代ごとに微妙に変わります。

一昨年の年末に脳梗塞で倒れ、左半身が動かなくなったけど治療とリハビリの結果、ギターも弾けるようになりました。
昨年は人前で2回、今年は、1回弾き語り。もう少し人前でやらないと。
来年65歳、そう大したことない人生ですね。でも私にしたら上出来ですか。


 



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