2004年6月19日
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「それで、どうする?」
 
(Tsuge/36歳/千葉)
 
以前、僕は掲示板に「今日のステージ良かったです。とは言わない」と書いたことがある。

だって生で聞いているのだから、もっと具体的なコトバで感想を言うべきだと思うんだ。一生懸命練習して、頑張って歌った人に対し「良かった」で済ますのは、少しコトバ足らずな気がしない?(だから僕はお世辞は言わない。イマイチと感じた時も正直に言う。意見を求めてきた人には。)

さて、今日はその先のハナシ。

人様の「良かった」ステージ、「そうでなかった」ステージ。
さらにそこに留まらず、聞いた事もない様な切り口による表現、あるいは接した事のないようなジャンル。
“親応”のいいところは、これらに身近に接することができる点にあると思う。
“親応”はアコースティック音楽のごった煮なのだ。
そして“親応”は、(表現レベルにおいて)とことん自由なのだ。

家でギターを弾いているだけでは、なかなか視野が広がらない僕たちの世代にとって、これは素晴らしいチャンスだと捉えたい。

そこで問題、新しい刺激はある。じゃぁ、次のステップとして、それをどう消化するのか?「へぇ〜、こんなのもあるんだ、面白いね〜」で終らせていいのか?

好きなミュージシャンの楽曲を、コピーする事が目的であってもいい。
空いた時間を埋めるのに、好きな歌を口ずさむのもいい。
ギターとの関わり、音楽に求めるもの、音楽と関れる時間、あるいは楽しみ方。
人それぞれ違って当然だし、「かくあるべきだ」なんて論ずる事はナンセンスだからね。

だけど、せっかくギターを手にして、人前に立つチャンスがあるのだから、僕は常にもう一歩前に進みたいと思っている。

そのカタチは何でも良くって、自分のコトバで歌うのもアリだし、自分のメロディを探すのもアリだし、新しいジャンルに挑戦するのもアリだ。
そう考えて彷徨い続けた結果が僕の場合、「ジョニィ&ブレンダ」だったり、「ジャンゴ・ラインハルト」だったり、「オープンチューニング」だったり、「友部正人」だったり。

かつて中学生だった僕は「歌で時代はかわるのか?」という幻にとりつかれ、ギターを手にした。歌で時代なんか変わるはずはないけれど、自分自身は確実に変わった。

そして今もギターを弾き続けている。そうしている限り、前に進む事を止めてはいけない、そこに留まってはならないと思うのだ。
いつまでも「○○○○○○○○」のままでは、カッコ悪いと思うからね。
 
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