2004年11月15日
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「オヤ?爺バンド」
 
(エネオスいとう/55歳/群馬)


 先日2枚の「CD」が届いた。早速そのうちの一枚をバンド仲間のアンソニーさとうへ手渡した。翌日彼から熱い心の伝わるメールが送られてきた。「ひどく懐かしい気分になり、何度も何度も聞き入った。ギターの音色もテクニックも素晴らしいけど、やはり声が歌詞にピッタリで、自分も何かあとに残せるものを作ってみたくなった!」と。

 ところで、私がベルトマスター(バンマスと呼んでもらえないので)を勤めるオヤジバンドは、いうなれば"村おこし"とまでは自惚れぬまでも、地域密着度が極めて高いのが自慢だ。メンバーの4/5が同じ町内に住むもの同士で、同時に地元で続くお祭りの裏方とほとんど重なっていて、平均年齢は50台半ばにも達する。バンド誕生の裏話をありのままに語れば、裏方たちが自分で「面白そうだよね」と企画して夏祭りに自分たちのためのステージを作り上げ、臆面もなく表舞台にしゃしゃり出てしまったのが始まりだ。

 だが、時代が良かったのか、我々のそれまでの地域貢献が認知されていたからなのか、あるいは選曲が良かったのかは詮索しないとしても、なぜか第1回目からずっと大好評で、ステージに登場するたびに観客数も拍手も増えている。忘れもしない光景があった(らしい)。結成最初の年のステージ、懐かしのフォークソングを選んだ。そしてそれを町内のご婦人方のうちごく僅かな人数ではあるものの、潤んだ瞳に涙さえ浮かべてじっと立ち尽くすように聞き惚れていた、という情報が寄せられたのだ。今となってはその真偽の程を確認する術もないが、その情報を寄せてくれたドンファンこやまはバンド発展のキッカケを作った功労者として、我がバンドで正ドラマーの地位に取り立てられた。

 そして今年、地元公民館から直々のご指名で、我がバンドに曲作りの依頼が舞い込んだ。それは何と"城山音頭"と名付けられた、全くジャンルを異にする曲だった。しかし、アンソニーは、町内から公募され採用された歌詞によろこんで曲を付けた。そして、やはり町内から選ばれた間野静佳さんが唄うのに合わせ、我が「座・ヘンジンズ」が演奏をして曲はテープに収められ、夏祭りのステージでは圧倒的な支持を得てお披露目ができた。

 あの時届いたCD「西へ向かう」で東田寿和氏が思いを込めて歌っていたように、今はまだカセットテープだが、それでも校区の行事があるたびに歌われ、そして踊られる「城山音頭」をアンソニーが立派に作り上げたのだ。地域を愛し、音楽を楽しむその熱い心を持って…。11月14日の日曜、「校区秋祭り」が開かれる。そのオープニングを知らせるのは、もちろん「城山音頭」しかない。

 ベンリーさわなか、ローズィーかめだ、そしてこの文を記しているエネオスいとうは、先の二人と共に「座・ヘンジンズ」が、この先オヤジバンドならぬ"オヤ?爺バンド"と呼ばれても、しつこくギターをかき鳴らし、震える手でマイクを掴んで離さない年寄りになれる日が来ることを強く望んでいる。東田氏とも20年後に共演できる日が来るのを、CD制作費用を貯金しながら待っていようと思う。


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