2004年11月16日
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「私にとってのギター」
 
(makobe/47歳/岐阜)


リレーエッセイへの参加依頼を山下さんから頂いたのが、約1週間前の事でした。
それまでリレーエッセイを読ませて頂く時は、自分と良く似た境遇でギターを楽しまれているメンバーの方の意見に、「そうそう、自分もそう思う。」等と頷きながら気楽に読ませて頂いていたのですが、いざ自分の番になると、会社で報告書を書くようにはなかなか行かなくて、構想のまとまらないまま結局締め切りの日を迎えてしまい、山下さんにご迷惑をお掛けしないようにとキーボードを打ち始めました。

仕事を終えて帰宅し、蒲団に入るまでの僅かな時間ですがギターを楽しんでいます。疲れた時に一番ホッとさせてくれるのはやはりこの音、ギターの音なのだとしみじみ思います。

高校でギター・マンドリン部に在籍してギターを始め、大学でのサークル活動、社会人になっての寮生活、何時も側にはギターが有りました。しかし、結婚を機に共働きのアパート生活が始まり、ギターは実家に置いたままとなっていたのですが、子供の誕生に記念のギターを買いたいと上さんにお願いし、憧れのラリビーを手にしました。今にして思えば、この時が蟻地獄の淵に立ち、中心に向かって動き始めた時だったのかも知れません。

そんな頃に、アコースティク・ギター・ファン・フェアーの第一回目が名古屋の神社で開催され、まだ歩き始めたばかりの子供を連れて興味津々で出かけました。そこで、アイルランドから帰国されたばかりの内田さんと作品に出会い、内田ギターの素晴らしさにひと目惚れして衝動買い。

恐らくこの頃にギター関連の季刊誌が出版され始めたように思います。
まさに、中年層以上を狙ったギター市場の再構築にまんまと嵌って行く周囲を見ながら、自分だけでない事に安心感を覚えたものでした。

その後も色々なメーカーや個人製作家のギターを手にして、自己満足の世界に陥っていたのですが、次第に「自分でもギターを作ってみたい。」という思いが頭の中をグルグルと回り始めました。
 
可児市にあるギターメーカーに何度か足を運びお願いし、無理を聞いて頂き土曜日に約1年間ギター作りを教えて頂きました。その時にやっと気付き始めたのが、何をして最高のギターなのかという事です。

情報過多の中で、色々なメディアで高級ギター材料の紹介がこれでもかとされ、鉄人が登場する一時期のグルメ番組を見る思いがします。
高級木材にはそれなりの良さがある事は分りますが、材料の持つ特性を100%引き出して楽器を作品の領域に昇華して仕上げられているギターは、恐らくそれ程は存在しないのではないでしょうか。

若輩者が何を偉そうにと思われるかも知れませんが、心に気持ち良いギターの音は、ギターを弾かれる夫々の方が今までに耳にして来た音の中から無意識の内に選別され、脳裏に焼き付いている記憶の中に存在する音だと思うのです。そして、その音に一番近い或いは重なる響きのするギターが最高のギターなのではないでしょうか。

余命を考えると、人生の半分以上を過ぎた所に自分は立っています。
それ程時間がある訳でなし、そろそろハードの追求はこの辺りにして満足できる演奏をする事に時間を注がないと、きっと悔いを残して棺桶に入る事になるのだと自分に言い聞かせるこの頃です。

まとまらない文章でしたが、最後まで目を通して頂きありがとうございました。
また、このような貴重な機会を与えて頂いた山下さんに感謝いたします


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