2004年12月28日
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「風来坊」
 
(OTOyan/41歳/富山)
 


「この道どこまで続くのか、遠い空お前と見上げたかった」
僕がまだ中学生のころ 学校祭でギターの上手い同級生なんかが、ステージの上でギターをかき鳴らしながら一生懸命唄っていた。
そこそこ人が集まっていてその中で唄っていた彼らが、なんだか別世界の人に見えた。
僕はというと、そのころギターもフォークもあんまり興味が無く、ギターを弾いたのは高校に入って部活の先輩の送別会で弾いたのがはじめだった。

社会人となって以降は、仕事と生活に追われ気がついたら人生もそろそろ折り返し地点。
ある時、「一体全体俺はなにをやっているんだ」「一生に今という時は一度きりなんだ」と思った時に、いてもたってもおられずギター・・・・ではなくウクレレを衝動買いし、家族の嫌そうな顔も無視して毎日弾いていた。
一人で弾いていても一向に上手くなれなくて、ウクレレ教室にも通った。
僕の通っていた教室はギターも教えていたので、生徒さんのギターの練習しているのを聞いたり、先生のライブを見たりしているうちにギターをもう一度弾きたくなり、先生の紹介でギターを購入し、ウクレレと交互に弾いたりしていた。
今では「マーチンD-41」をメインにじわじわと増殖しようとしている。

実は僕の通っていたウクレレ教室の先生は、去年交通事故でお亡くなりになられました。
とてもユニークな先生で生徒のみんなから慕われ、僕自身亡くなられたのが信じられなくて、急に心の中がポッカリ空いたような、それまで経験したことの無い精神状態がしばらく続いた。
そんな去年の暮れに、ウクレレ教室の生徒さんたちを集めて「クリスマスライブ」をやろうと誘ってくれたのがきっかけ(「夏みかん」の麻○さんありがとう)で、バラバラになっていた生徒さん達とも少しづつ連絡が取れるようになり、おかげで先生の1周忌ウクレレライブを他の生徒さん達の協力も得て、今年の10月に無事開催することが出来た。(重ね重ね皆さん感謝m(__)m)
先生の遺志を継ぐことは出来ないだろうけど、少しずつ音楽を通じて仲間を増やしていければなぁと思っています。

始めに書いた歌詞、お気づきの方もあるでしょうがふきのとうの「風来坊」を間違えてず〜っと覚えていたんです。
題名が知りたくてもわからなかったのが、ついこの間26年ぶりにやっと分かったんです。
長年つかえていたものがようやくとれたような、行方不明の友人が突然目の前に現れたようなで、なんだか妙にうれしくて・・・・。
また、こんな小さなことでも感動できる自分の変化に驚いています。
人生何がおきるか分かりませんが、これからも一歩一歩踏みしめて歩いていきたいと思っています。


 
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