2006年5月15日
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「悪友と心を癒す友」
 
(ひーぼー/38歳/福岡)



 確かギターと初めて出会ったのは、中学2年。学校の音楽の授業でクラシックギターを弾き、楽器演奏の楽しさを実感した。その熱が高じて、親におねだりをして初めて自分の意志で楽器を買ってもらった。アコギは、モーリス。今もたまに弾いて、健在である。まさにビンテージもの?
 
 その後、高校に入った。文化祭でバンドを組まないかと友人に誘われ、なぜかベース担当。しかも、ハードロック・ヘビメタ中心で、私の趣味に合わず、なんとなく練習にも気合が入らなかった。
 モーリスのギターも受験勉強の合間に、息抜きとしてたまに弾く程度で、徐々にギターから遠ざかっていった。

 それから月日は流れること20年。
 それは、今から2年ほど前、友人と飲み屋での再びバンド結成の話題が持ち上がった。友人いわく「俺はキーボード、お前はアコギ。他のメンバーはこれから集めよう」。
 ステージに立つには、古いモーリスではなく、もう少し格好いいエレアコが欲しい!。ということで、Ovationを買う。そこで、ギターの魅惑を再認識し、はまってしまった。

 ところが、体が覚えていたのか、簡単なコードはなんとなく押さえられるのだが、やはり20年もギターを触っていないと、指の動きがかたい。それは年をとったこともあるのだろう。

 その友人、そのうち、「お前はエレキ担当」と言い出す。ギター熱を発症し出した私は、これまで手にしたこともなく、バンドの花形であるエレキ故の憧れから、今度はFenderのストラトを買ってしまった。

 ところが、このストラトの音がどうも好きになれない。社会人となって昼間は会社で精神をすり減らしている生活の中で、夜や休日も、アンプから出るキンキンとした金属音に付き合わされることの緊張感が耐えられない。やはりエレキはスタジオや屋外で大音量で弾くことで、ストレスを発散させる道具であって、自宅でチマチマと練習するにはふさわしくないのだろう。

 そして、程なくエレキとは決別し、エレアコにも違和感を感じながら、私のギター熱は、今度は正統派のアコギに向かうことになる。
 そこで私を虜にしたのは、Martin。音の良し悪しもよく分からず、インレイや表板の木目の美しさに惹かれ、D-41を買ってしまった。ほとんど衝動買い。ミーハーな自分に自己嫌悪感を覚えつつも、一方でMartinオーナーになったことの優越感に浸り、その頃からギター熱の最高潮が続くことになる。
 そして、そのころEric Claptonのアルバム「Unplugged」を聞いてしまい、さらにアコギの深みにのめり込む。そうなると、ギターの神様のシグネチャーモデル000-28ECを必然的に欲しくなってしまう。結局、1年足らずにうちに、我が家にはMartinが2台に増えてしまった。 

 前出の友人、練習をしようといっておきながら、なかなか実際のバンド活動を行わない。有言不実行の悪友である。まあ、彼に言わせると、私の演奏技術を知って、これは使えない、と見限ったのかもしれない。(私のほうから練習しようといってもいいのだが、自分の技術ではそんなことを言い出すにはおこがましい状況なので、口にしていない)

 それはさておき、その悪友のおかげで、アコギの魅力を認識することができたのだ。

 私にとっての魅力、それは疲れた心を癒し、心地よい気持ちに誘う精神安定剤のような魔力を誘発してくれる。そしてアンプなどの人工的に作られた音でなく、自然素材で奏でられる優しい音。
 技術的にはまだまだ私の思い通りに心を通わせてくれないが、少なくとも私には心を落ち着かせてくれる友人になってくれた。夜に一人静かにギターの弦をポロロンポロロンと爪弾いているだけで、幸福な気分に浸れるのだ。

 このような心を癒してくれる一生の友を紹介してくれた悪友に感謝したい。


 
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