2006年8月4日
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「K君のくれた勇気」
 
(丹後雅彦/1958年生/東京)



あるクラシック・ギタリストがいた。東北出身。早くから有名な先生に師事し、学生時代から多くの賞を獲得。ヨーロッパに渡ってからは国際的なステージで活躍し、"日本人初"との冠のつく活動も多かった。
日本に戻ってからも活躍は順調で、リサイタルやCD録音など、高い評価を受けていた。

その彼が突然倒れたのは、数年前の12月のことだった。
夜遅い電車の中で頭を抱えて倒れ込み、救急車で病院に担ぎ込まれたのである。幸いにして一命はとりとめたものの、懸命のリハビリにもかかわらず、右手は動かなくなってしまった。

その現実は、本当に厳しいものだった。
リハビリの見舞いに訪れた我々友人に向かい、彼は右手を愛おしそうに包みながら歯の間から振り絞るように「動かないんです、もう」と口にした。返す言葉がなかった。
そして、数秒のち、彼は口調を変えて「でも、いいんです。もう切り替えましたら」と続けた。「とにかく子供を学校にやらなきゃならないから、いつまでも引きずっていられないですよ」と笑った。

今彼は故郷の実家に帰り、音楽とはまったく関係のない仕事をしながら、子供たちを学校にやっている。体の機能はだいぶ回復したらしく、それがとても嬉しい。

ときどき、私は自分の仕事について愚痴を言う。
忙しければ文句を言い、無理を言われれば客を呪い、時にはいい加減に片付けようと手を抜くことさえある。
そんな時、自分への戒めとして、彼が「とにかく子供を学校にやらなきゃ」と語ったときのことを思い出す。自分は彼ほどの決意を持って生きているのか。彼に対して恥ずかしくはないか。
ギターという仕事と地位を一瞬にして失い、それであるにも関わらず、家族のためにと前を向いて生きる彼を思えば、仕事に愚痴を言う自分はとても許せない。

彼の言葉は、私にとっての大きな力である。


 
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