2008年2月18日
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「私の音楽活動遍歴」
 
(Niwatomo/1965年生/愛知)

 私の音楽活動遍歴は、今からおよそ30年前、中学生のときに始まる。中学時代に聞いたビートルズの曲に大きな衝撃を受け、また、フィルムコンサートを通じて動くビートルズを見て、私自身もバンド演奏をやってみようと決意したのである。しかし、当時、私はギターを所有していなかったため、すぐには何もできなかった。

 高校生になってようやくギターを購入し、ギターの練習を始めた。しかし、高校生ともなるとギターがうまい者は多数おり、うまい者同士でバンドを組む。当然ながらこの自分に声がかかることはなく、また、自分からバンドに入れてくれとも言えなかった。結局、高校生の間は自分ひとりでギターを弾くしかなかったが、この間、主にビートルズの曲をコピーすることで演奏技術を磨いた。

 大学生になり、学内の軽音楽サークルに入ることも画策したが、アルバイトやその他事情を優先せざるを得ない状況であった。そのため、目立った音楽活動は何もできず、20歳になったころには、この先、バンドで演奏できることはないだろうとあきらめていた。

 ところが、21歳になる直前、たまたま、地元の社会人バンドのメンバーと知り合う機会があり、私をギターとしてバンドリーダーに紹介していただいたのである。すぐにバンドでセッションを行い、私はそれまでの思いをぶつけ、全力で演奏した。そして、私の演奏をバンドリーダーに気に入っていただき、バンドに加入することとなったのである。こうして、バンドで演奏するという夢を7年がかりで実現することができた。

 しかしながら、私が加入した直後、バンドのベーシストがなぜか突如として脱退してしまった。そこで、私はベース演奏にも興味があったので、私がベースをやることとなった。その後もしばらくメンバーの加入脱退が続いたが、一年ぐらいたってメンバーが落ち着き、本格的なバンド演奏活動が始まったのである。このころの演奏曲目はビートルズも含め、60年代及び70年代の洋楽のロックが中心であった。また、バンドに加入してから2年後に私は大学を卒業して就職し、会社の寮に入ったが、寮は地元から車で1時間のところであったので、私は社会人になってからもバンド活動を続けることができた。このころは月に1、2回程度練習し、年に数回、人前でのライブ演奏も行い、充実したバンド活動ができていたように思う。

 入社から5年後、私は最初の試練を迎えることとなる。恐れていた東京への転勤辞令が出たのである。東京に行けばバンドの練習等には簡単に駆けつけられないこととなる。バンドをとるか会社をとるかで私は悩んだが、会社を簡単に辞めることもできず、皆の了承を得て東京に行くこととした。東京に住んで愛知県でバンド活動するのは、想像以上に大変である。例えば、日曜日の夜にライブ演奏があったときなどは、演奏を終えてすぐに名古屋駅に行き、最終の新幹線に飛び乗るということもあった。

 一方、私が東京に赴任してからしばらくたった後、なぜか他のバンドメンバーの状況も不安定となり、そのため、その後数年間にわたり、バンドは活動停止状態となってしまった。業を煮やしたバンドリーダーは、バンド活動を再開すべく、大きな決断を下した。私が加入した直後にバンドをやめたベーシスト、つまり、このバンドの本来のベーシストをバンドに復帰させ、一方、私をベースからキーボードに転向させることとしたのである。これは、ベースがいなくてはバンド演奏にならないが、キーボードはいなくても最低限の演奏はできるという理由による。私はそれまで遊びでキーボードを演奏したことがある程度であったが、バンドをやめたくないという思いも強く、また、私が東京にいることでバンドの小回りが利かないという事情もよくわかるので、私はキーボード転向を承諾した。こうしてバンドは再び活発に動くようになり、私は月に一回の練習に参加するため、東京から地元の愛知県まで車で駆けつけるようになった。

 東京に赴任して6年後、私は再び大きな試練を迎えた。交通事故に遭い、開頭手術を受けるという重傷を負ったのである。幸いにも体の他の部位への影響はなかったが、当たり所が悪かったのであろうか、事故の半年後、バンドの練習で大音響を聞いた際に片耳が突然聞こえにくくなってしまった。以降、聴力が回復することはなかった。

 このことをきっかけとして、私はバンドでの演奏を断念せざるを得ないかと思うようになった。理由としては、キーボードの演奏技術がなかなか上達せず、楽しんで演奏できなくなったこと。バンド本来のベーシストが復帰したことで私はバンド内の発言権を失い、演奏曲に自分の好みが反映できなくなったこと。また、私もこのバンドでずっとベースをやっていたことから、復帰したベーシストの演奏に不満を感じるようになったこと。そして、耳の障害を抱えながら大音響の中で演奏することに大きな不安を感じるようになったことである。

 それでも、そういう気持ちを抱えながらバンド演奏活動を続けていた中、事故から一年半がたったとき、私は本社勤務の辞令を受け、地元に帰ることとなった。本来ならば、これで思う存分バンド演奏ができるようになるはずである。しかし、前述の気持ちが解消することはなく、バンド活動に限って言えば、あまりうれしいという気持ちにはなれなかった。

 かつて、バンド演奏したくても、なかなかその思いを実現できなかった私である。私はこのバンドに拾われて以来16年間も在籍させてもらい、いい思いを何度もさせてもらった。それゆえ、バンドには大きな恩義も感じており、そう簡単にやめてはいけないこともわかっていた。しかし、悩みに悩んだ末、趣味でやっているのに苦しまなければならないのは価値的でないという結論に至り、地元に帰ってから一年後、私はバンドを脱退したのである。東京にいたときには苦労して練習に駆けつけ、地元に帰って環境がよくなってバンドをやめるというのは、何とも皮肉な結果であった。

 バンド脱退後、2年間ぐらいは音楽活動をほとんどしなかった。しかし、再び音楽活動をしたくなり、古くからの友人に声をかけて、ギターインストデュオでの演奏活動を始めた。このデュオでは最初の1年間は練習しただけであったが、2年目から人前でライブ演奏もやりたいと思うようになった。そこで、演奏できそうなライブイベントを探し始めたが、我々の演奏する曲はあまり一般ウケするようなものではなかったため、気軽に演奏できる場はほとんどなかった。また、相方の友人はライブ演奏にはあまり乗り気でなく、結局、デュオではライブ演奏を1、2回やった程度で、その後自然消滅してしまった。

 一方、私個人としては人前で演奏をしたいという思いも強く、昨年6月ごろから、ソロであちこちのフリーエントリーライブに出演するようになった。当初はデュオ時代の延長線上にあるような曲を演奏していたが、やはりウケがよくない。ウケの良し悪しを無視してそのまま我が道を行くのも選択肢の一つであったが、できる限り幅広く演奏の場を確保したいとも思い、その後大幅に路線変更して、昔からよく知っているビートルズの曲の演奏に特化するようになった。その結果、演奏の場は多少広がったように感じる。また、最近、自宅の近所にビートルズをこよなく愛するマスターが経営しているライブバーがあり、ここに頻繁に通うようになった。このマスターからビートルズを演奏する上での種々の助言をいただき、現在はますますビートルズ化が進んでいるという次第である。

 結局、現時点における私の音楽活動遍歴はビートルズから始まり、紆余曲折を経て、ビートルズに帰ってきたというところである。これも原点回帰なのであろうか。





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