2008年11月12日
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「今あらためて思うこと…」
 
(west.キャンプ/1950年生/大阪)


田舎の高校1年生だった自分は、あの加山雄三の若大将シリーズ「エレキの若大将」の映画を観たことでギターと出会いました。
正確には映画のシーンより挿入歌である「君といつまでも」に参ってしまった。澄ちゃんをそばに置いて、「ふたりを夕闇が…」カッコいいイ〜。
ギターが弾けることがモテる絶対条件という不純な思いは隠し、親に一生のお願いとして安いギターを買ってもらったのです。

この映画には題名の通りエレキギターの演奏がふんだんに入っており、蕎麦屋の店員である「寺内タケシ」がリードする「寺内タケシとブルージーンズ」のサウンドが更にカッコよく「ブラックサンドビーチ」「夜空の星」「ランニングドンキー」などの曲は40年以上経った今でもさわりくらいはまだ弾けます。ビートルズが来日する前年のことです。

みんなと同じようにエレキバンドを結成、ベンチャーズに明け暮れましたが、一方でナイロン弦のギターを弾きながら「夜空を仰いで」「夕陽は赤く」(←やっぱり若大将シリーズ)を歌う友人に『負けた』音量ではないと思い、弾き語りに目覚めました。

更に高校3年になり、アコースティックで歌うPP&Mやジョーンバエズのプロテストソングには頭をガツンの心境で、歌にメッセージがあることを初めて知りました。
多分、まだ岡林信康が同志社大学に在学中か卒業するかの時代で、外部から入ってくる音楽が急に増え、それは日本が経済の成長へと走り始めるきざしの時期であったように思います。

そして社会人となった頃より「山谷ブルース」「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」などの「メッセージソング」を自分も当然のように仲間と歌い、若さと反社会性に粋がっていた時代が今思うと確かにありました。

以来約40年ギターはいつもそばにありましたが、コードを忘れない程度の爪弾きなので上手くならないし、歌はさらに下手くそです。
今日まで、プロではない身近な存在も含め、数え切れないアーチストのメッセージに励まされ、そしてなぐさめられてきました。その万分の1でも「自分が癒してあげる歌が」心の底から歌えたら、と叶わぬ夢を追い続けています。

「オヤ応」のメンバーに加えて頂き、自分で何かを始めようという、こんな新鮮な気持ちに自分でも驚いています。
 全国の「戦うオヤジ・戦わないオヤジ」特に「戦ったけどいつも敗れてしまうオヤジ」の皆様今後ともよろしくお願いします。




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