2011年9月26日
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「私と音楽」
 
(bon/1951年生/福岡)


 皆さんこんにちは、こんどオヤ応に入れて頂いたbonと申します。

 僕が音楽と関わったのは小学校5・6年生の頃、日曜の朝8時頃ラジオから流れたいた洋楽に興味を持ってからです。

 小学校は何時も寝坊して遅刻ばかり、でも日曜の朝は目がぱっちりと覚めてラジオにくぎづけでした。

 小学校にはアメリカから帰って来た友達がいてPPMのレコードを借りたりして、中学生になるとテレビでsoul trainと言う番組をみてモータウンのsoul musicにのめり込み、Black musicばかり聴いていました。

 その頃、博多駅の近くにフォーカスと言う日本一大きなダンスホールが出来、中学3年から学校が終わると即ホールへ、坊主頭だったけど一度も補導されず、ホールのステージで歌っているベース(アメリカ駐留軍)から来た黒人の歌にあわせて、最終まで踊りまくり。

 その頃は、まだ蒸気機関車(運賃40円)で家に帰ったり、深夜喫茶で朝までねばり朝一の電車で帰宅。毎日そんな生活で学校は高校まで遅刻ばかりでした。

 社会人になっても昼から出勤、他の人は6時退社で僕は10時過ぎまで仕事をしていると社長が来て「はよ、帰らんかー」と昼も夜も社長に怒られていました。でも社長には可愛がって貰いましたよ。

 そう言う訳で今は自営業です。今も昼まで寝ています。

 同時進行でギターも先輩に教えて貰い、歌はモータウン中心、弾き語りはPPMやBEATLESなどにハマリ、陽水・泉谷しげる・加川良などのフォークも歌いました。

 あぁー、楽しかったば〜い・・・・

 その頃周りで流行っていたのはYAMAHAのギターだったんですが、僕はYAMAHAの金属的な音に抵抗が有りMARUHA(今はアストリアス)のアコースティックを買いました。

 音に関して何も知らなかったのですが、そのハムのメーカーみたいなギターは、十分僕の心に響いて来て、今でも僕に取って恋人みたいなギターでした。(友達に貸して帰って来なかったのだぁー) ゜(゜´Д`゜)゜

 次に家族紹介をします。 長くてごめ〜んね。

 歳は5月で60才になりました。一人の女(女房)と一匹の犬(ラオ 雄 4才)猫(さくら 雌 8才・ピグモン 雄 5才)以上 5人家族で子供なし。
種が無かったとたい。

 僕は音楽が無いと生きて行けない位です。友達が自殺した時も、前に飼っていた猫達が死んだ時も、そこには必ず思い出の音楽が有ったからです。

 60になりオヤジの応援団に入れてもらい、また新しい友達が全国に増えていくかと思うとワクワクしています。

 末永いお付き合いよろしくです。



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