2012年12月3日
<エッセイ一覧へ>

「あの頃、ギターがありまして・・・」
 
(らあく/1952年生/兵庫)


ギターとの出会いは、もう43年前の事。
ちょうど時代は、高度成長期の熱気とベトナム反戦運動が重なり、音楽もグループサウンズからフォーク、歌謡曲がごった煮のざわめく息吹の真っ只中。
当時、長距離通学で私学の高校に通っていたのですが、通学駅近くのペンキ屋が実家の同級生が居ました。
その男が、器用なやつで、教則本や楽譜もろくにない時代、PPM等の「アメリカ民謡」のレコード盤から音を拾い、どこで手に入れたのか当時流行り始めたギターを独学でつま弾いていました。
影響されて、当時YAMAHAから発売されたFG18を購入。学校の帰りにペンキ屋の2階に集まっては、練習したものです。
ちなみに笑い話になりますが、なにぶん本物の演奏を見たことが無いので、3フィンガーピッキングを二本指で弾くツーフィンガーピッキングが、当時我々の中では常識でした。
そのメンバーにもう一人、都心部に住む時計屋の息子が参画し、計3人のギター仲間が出来たのですが、その男が住む下町商店街から少し路地奥に、倉庫の2階を練習場にしているすごく上手なフォークグループがいるとの事。興味と憧れを持って高校生三人でたびたび遊びに行ったものです。
そのグループは、初めて見る楽器、オートハープを弾くひょうひょうとしたおじさん(高校生から見るとおじさんだったんですね)ちょっと涙声的なヴォーカルが素敵な女のひと。少し神経質な感じに見えるけど実は気さくなギタリスト。背が高く優しい感じのベーシストの4人。
後にこのグループ、5つの赤い風船という名前でメジャーデビューし、学校の教科書にまで載っていたそうですね。ちなみに仲間の器用なペンキ屋の息子は、今は音信不通ながら、現在もギタリストとして活躍中のA山じゅんじ君。高校時代には、彼らの他にもウッドベースの同級生とバンドを組み、当時人気だったラジオ番組なんかにも出演してはナンパに励んでいました。なにぶん男子校だったもので・・・。
でも大学に入ってからは徐々にギターから離れ、社会に出た頃はカラオケ全盛で、いつしかギターはケースの中で永い眠りについていました。そのギターに再び光が当たり始めたのは、ほんの半年前。
還暦を迎える頃になると皆さん経験されると思いますが、再び学生時代の仲間が集まりだすもの。その中には社会人生活の間も楽器演奏を続けてきた奇特な人物もおり、影響と励ましを受け、パソコンのキーボードしか動かせなくなった指に活を入れ、リハビリを開始した次第です。独学コツコツが苦手故、ギタースクールの入学するとそこは妙齢の女性集団。ギターよりアフタースクールの飲み会が楽しくなってる昨今、この先どうなる事やら?
こんな自堕落ギタリストですが、おや応SPにお伺いし、会員の皆さんの演奏に刺激を受けて、演奏家魂に火をつけたいと思っています。近々関西方面のどこかに潜入する予定ですので、その際はどうかよろしくお願いします




エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→