2014年7月20日
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「ギターとウクレレ」
 
(フェザー466/1962年生/東京)


ジョージ・ハリスンが幾つかの曲をウクレレで作曲していたのを知ったのはつい最近のことだ。

ビートルズ。
誰もがそうしたように私も同様、楽曲ばかりが体に入ってきた訳ではなかった。
いろいろなものが変わったり、芽生えたりした。
なにかを知るとその瞬間、世界が音をたてて変わったのがあの頃だった。

ウクレレを弾くジョージ。
「知った」というより「意識した」という方が正確かも知れない。
中学の頃から「THE BEATLES」にのめり込んでゆき、そこから今日までの38年間、私のビートルズという「ホビー」はギターとともにあった。

昨年の丁度今頃、ふとしたきっかけで私はウクレレに触るようになった。
随分昔に入手はしたものの、あの民族楽器的な曖昧さがどうも私の肌には合わなかった。
「なんていい加減な音程なんだ」
ソプラノでもたった 4本の弦。
「こんなので複雑なパッセージをやるくらいならギターでいいじゃないか」と思ったりもした。
私のウクレレに対する第一印象はこんなものだったと思う。
自然に遠退いた。
しばらくはオーディオスピーカーの上のオブジェと化したがそれは、誰だったか友人にあげてしまった。

50歳に近づいた頃からスーパー・ジャンボやドレッド・ノウトが重くなってきた。
ダブル・オーからシングル・オーへ。パーラーと、5-スタイルが加わり、こんなことではいけないと思いつつギターのサイズはどんどん小型化していった。
実に安直な右肩下がりの降下線グラフの先に、当然見えてくるのはとても小さなウクレレである。
楽器屋街の動線も、駅近くの最後はウクレレ。
私にとってはそういう「再会」がウクレレだった。

ウクレレで弾き語りを始めると、とても楽だった。
私の音楽信条の中で一番の想いは「楽しいこと」。
私たちにはなにかを乗り越えて得る楽しみも無論あるが、音楽の演奏や作曲、セールスといった創造の苦しみのすべてはプロに任せておけばよい。

楽であることと、この「楽しい」は簡単に直結した。
新しいレパートリーもどんどん増えていったが、ギターで弾き語りをしていたものをウクレレバージョンに置き換えていく作業は「頭の切り替え」に近い。
ウクレレを携え、昔ギターで練習した曲に懐かしい再会を果たす瞬間は実にエキサイティングだ。

ギタリスト、ジョージの曲に再会するやいなや、携えたウクレレの指板は、ギターの時よりも実に自然に指を運んでくれる。

ハワイのロコの子供たちのようにウクレレを奏でたい。それだけでよい。
私に気負わぬ「弦」との付き合いをくれたウクレレは今、私の世界を確実にひろげてくれている。
この春から重度重複障害者施設の音楽ボランティア隊を主催している。
私の音楽における「自己満足」を何かに役立てたいという「自己満足」を満たすために。





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