2015年1月22日
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「念願の沖縄SP那覇を立ち上げました」
 
(ゴーヤーマン/1954年生/沖縄)


戦うオヤジの応援団に入団させて頂いてから、早くも七年になります。
仕事柄、東京と沖縄を行ったり来たりする生活が続いていますが、現在は、東京に20日、沖縄に10日の生活を毎月繰り返して居ます。

応援団に入団する前までは、東京の出張用のアパートにはギターすら置いて無く、お酒が飲めない私は取引先とアパートの往復するのみの味けの無い生活をしていました。

沖縄には、学生時代に必死でバイトして、アメリカのLAで手に入れたMARTIN D-18Sを持っては居ましたが、変則的な生活の中で、ギターを弾きながら歌って居た事は、青春の1ページと言う若い頃の思い出の一つになって居ました。

ある日、ネットサーフィンをしていると戦うオヤジの応援団のHPに行き着きました。同年代の親父達が、ギターを持参して各地のSPの交流会で楽しそうに集っている姿を見ていると、居ても経ってもいられなくなりました。但し、参加するのは、やはり怖いのです。常連さん達が、私を迎え入れてくれるだろうか、僕の長いブランクの後の弾き語りを聴いて馬鹿にされないだろうかなどと、次々と不安が湧いて来ます。

都内には、幾つかのSPが存在していますが、中央のSPだと上手い人が多そうで怖いですし、学生時代に住んで居た川口にSPが在ったので、そこに初参加する事になりました。SP川口の方々は、初参加の私を暖かく迎え入れてくれました。
しかしながら、久しぶりに人前で歌う事になって私は、声は上ずり、ギターを弾く手ばかりか足まで震える始末で、自分の実力がいかに劣化したかを思い知りました。
そう言う状態でも、同じ趣味を持つ同年代の方達との交流はとても楽しく、東京用のギターも購入して交流会に向けて練習したり、時には他のSPの交流会に参加したりと、東京での出張生活がまるで、青春が帰って来たかのように、楽しくなりました。
そして多くの素晴らしい仲間と出会う事が出来ました。

私は、去年還暦を迎えました。
今のような東京と沖縄を行ったり来たりする生活はいずれ終焉を迎えます。老後を考えると、残念なら、沖縄には、戦うオヤジの応援団のSPは有りません。それならば、作っちゃえと言う事で、その前哨戦として、沖縄アコギ好きのブログと言うブログを立ち上げ、沖縄のアコギ好きの人達と、知り合うきっかけを作って来ました。
そして、去年の8月に念願の沖縄SP那覇を立ち上げ、第一回目の交流会を開催しました。
沖縄は、ご存知のように歌と踊りの島で、過去に沖縄フォーク村が在った位ですから、歌心の有る素敵な親父達が毎回集まって、楽しい一時を過ごしています。

最北端の北海道から最南端の沖縄まで、SPが揃った事になりますが、全国の団員の皆さん、沖縄SPの交流会は毎月、最初の日曜日に開催されていますので、沖縄に旅行に来られた時は、ぜひ参加して欲しいです。

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