2015年7月7日
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「マルハは魚肉ソーセージなのか?」
 
(菊次郎/1959年生/東京)


1972年頃は折からのフォークブーム真っ只中で、吉田拓郎、井上陽水などの純国産フォークがメジャーになっていました。中坊の私はギターが弾きたくて仕方がない、でもギターは無い。
一計を案じて家にあったバドミントンのラケットを抱えて、ガット部分をストロークして来るべきギターとの遭遇に備えていました。月刊誌ヤングギターなどを購入し、気分はどんどん盛り上がる一方。

その1年後にやっと買ってもらったギターは、マルハ(今は無き橋本楽器、ロゴのトーン記号が可愛い)のF120Mという000-18風のギターでした、フォークタイプと呼ばれていた頃ですので、女の子が使うギターのようで少し躊躇しました(今はこっちの方が好きですが)。
本当は井上陽水のS.Yairiのようなドレッドノートのギターが欲しかったのです。しかし親が決めてきたので素直に諦めました。それまでのラケットに比べれば本物ギターがあるだけでもありがたい事でした。

チューニングの仕方も知らない私でしたが、ピッチパイプ(懐かしい)で何とか乗り越え、早速簡単なコードを押さえ(多分Em)、練習していた右手のストロークを…。ジャラーンと鳴らしてみれば気分はもう井上陽水でした(ギターコードって素晴らしい!)。ラケットでの事前練習のお蔭か、ストロークプレイは比較的スムーズに進み、後は左手のコードをどれだけ習得するかになってきました。

巷で良く聞かれたコードFでの挫折はないものの、手が小さい私にはバレー(セーハ)はかなり厳しいものでした、特にBフォームが嫌いでした、薬指の第一関節が全然反りません(今でも苦手)。BやB♭がでて来るものはできるだけ避けて演奏するという基本方針を打ち立て実行。
井上陽水でコードストロークを修得し、かぐや姫でアルペジオ、スリーフィンガーを覚え、その後の中学生時代はギターにのめり込んでいった訳です。
考えてみれば、周りには同志がおらず、孤独にひたすらギターを弾いていました。当時はみんな密かに隠れて練習していたのです。ある程度上手くなってからカミングアウトしようという姑息な考えが横行していたように思われます。

高校に入って「スーパースターも夢じゃない!」という有名キャッチコピー某メーカーのドレッドノートタイプを買い、マルハ君はクラスメイトに譲りお別れとなりました。その後はバイトしてエレキギターも入手し、益々のめり込むも中々上達しません。
そうこうしているうちにフォークブームも過ぎ去り、いつしか私もギターから遠ざかり、気がつけば40歳を迎えた頃、再びアンプラグドな時代がやってきて、かぐや姫も再々々結成ライブを行って、押し入れに眠っていたギターが陽の目を見る事に。その後はまた初心者からの再スタート、何もかも忘れチューニングからです。それから15年、今では色んなギター達に囲まれ森林浴だと嘯いては家人に疎まれる日々を送っております。

何処かのSPに顔を出したおりには、皆様よろしくお願いいたします。


 

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