2015年9月14日
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「いつかは、“はずれくじ”」
 
(おちあん/1963年生/埼玉)


「戦うオヤジの応援団」との出会いは、facebook。と、思い込んでいた・・・。
御徒町のフォーク酒場“F”(閉店)の賛助会員の看板を見たからだったな。

ギターを買った。
中2だったと思う。定価2万円のモーリス。
“買った。”と言うのが正しい。(始めた訳ではない。)
何と言うか・・・不純な動機だった(様な気がする)。
なので、サービスの緑色のチェックのソフトケースがとても恥ずかしかった。
(ハードケースでなければカッコがつかない。)

ギターを始めた。
きっかけは、友人が貸してくれた一組のレコード。
『三年坂/グレープ』
ライブ盤に熱くなった。
デビュー曲は、『追伸』と決めた。
(初めてフルに弾けた?のは、『冬の稲妻/アリス』。コードが4つぐらいで済んだと思う。)

『追伸』は叶わず高校へ。
やはり高校生活は部活。それも運動部でなきゃ!
サッカー部へ
一日で・・・。
たどり着いたのが、校舎の北側にある古いプールの水泳部。
冬は暇、ギター部と二束のわらじに。

ギター部では、先輩に恵まれた。
『19才』のイントロが弾けるようになった。イケる様な気がした!
デビューは、『追伸』。
初めて、自らの録音を聴いた。
「なんて酷い唄、なんて酷いギター(の音)なんだ。」
やっぱり、イケてない。

1本のテープ・・・。
『渋谷公会堂ライブ/風』(おそらく、FM東京のエアチェックもの)
「こんな風に、“はずれくじ”を弾きたい!」
頭の中は、“はずれくじ”のイントロのことばかり。
「左手の小指が思ったように動かない。」
授業中、左手の小指だけ常に動かしていた。
努力の成果?高2の秋の文化祭、大きな目標を達成した。
「しっかし、酷い唄だ・・・。」
 
その後、周りに迷惑をかけることもなく三十数年。
傍らには、
1本のHEADWAY
Aのブルースハープとホルダー。
あとは、少しの勇気とキッカケか・・・。
  



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