2004年6月11日
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“不良オヤジ”修行中
 
(Kent/42歳/千葉)
 
ついこの間までは、人生とにかくがむしゃらに突っ走ってきたなー。
仕事で目いっぱい頑張ることが生きがいで、家族の中での役目と信じて疑わなかった。

大阪での単身生活も苦どころか、自分のペースで生活でき快適と感じていた。子供の世話も家内にまかせっきり。たまの週末に家に帰っても、日頃の疲れを癒すことに費やされ、今考えると無責任ないいかげんなオヤジだった。

そんな中、家内が体調を崩し入退院を繰り返すこととなり、週末に単身赴任先から帰宅する意味がそれまでとは180度変わった。家内の病院に行き、子供たちの面倒を一日中みて、自分の身体を休めるどころか、命を削って仕事をしているようなものだった。母親と離れ、祖父母と暮らす子供たちは、いつも私の帰りを心待ちにしていた。また、私と病院に行って、家内とほんのひと時過ごすのをとても楽しみにしていた。まだまだ、わがままで、自分勝手なはずの年頃なのに、とても聞き分けがよかった。

そうした生活を1年以上も続けただろうか?。単身赴任先の部屋で床についた時、天井から自分をみつめているもうひとりの自分がいた。悲しい顔をしていた。はっとして起き上がり洗面所で顔を洗った。鏡に映った自分の顔は、何とも険しいものだった。その時気付いた。何と無機質な生き方をしているのだろうか。自分の居場所は会社しかないではないか。一生懸命仕事をして得たものは何だったのか。得るよりも失ったものの方が、はるかに多いのではないか。何のために生きているのか・・・・。とりとめもなく、涙があふれてきた。

何となくギターを手にした。学生時代には、寝る間もおしんで四六時中手にしていたギター。昔歌った歌をひとり口ずさんだ。すんなりと歌詞がでてくる。コードも無意識のうちに押さえている。多くの仲間と大声で歌ったこと、ギター抱えて噴水に飛び込んだこと、大きなホールでのコンサート、今から思えばほんの些細なことで朝まで議論したこと、そして家内との出会い・・・。いろんな昔のことが脳裏をかけめぐった。笑った。泣いた。確かに生きていた。毎日毎日を一生懸命、人間らしく生きていた。季節の移り変わりも肌で感じ、人とのつながりの中で生きていた。

会社に無理を言って単身生活にピリオドを打った。同時に、家族とともに毎日を人間らしく生きることが、自分のもう一つの役割であることを肝に銘じた。自然とのかかわりをもちたくて釣りをはじめた。そしてもうひとつ、ギターを再開した。数年後に「戦うおやじの応援団」を知った時、もういてもたってもいられず山下さんに連絡をとった。それから今日まで、家族もあきれはてる程の怒涛のような日々が過ぎていきました。ギターも随分増え、それでなくても狭い居住スペースを占拠し、ブーイングの嵐です。

最後に、家内の名(迷)言、「男のロマンは女の不満」。生き方を変えても、家族の幸せには貢献していないようです。ありゃりゃのりゃ!!。  
 
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