「出会いと想い出」 |
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(福浦/49歳/神奈川) |
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「楽器との出会い」
たぶん8〜9才のころだったと思う。昭和38年頃である。
当時住んでいた吉祥寺の街はまだまだ発展途上で、駅前や神社の前には白装束に軍隊帽をかぶった傷痍軍人が悲しげなメロディーをアコーディオンやハーモニカで奏でていた。
その頃の遊びは「チャンバラごっこ」や「銀玉鉄砲」を使った戦争ごっこ、近所の善福寺池でフナ釣り、井の頭公園でボート遊びなどをしていた。
まだまだ子供だったが既に意中の女の子もいたりして、誕生会やクリスマスパーティに招きあったりして、胸を躍らせていたものだ。
そんな無邪気な時期に、僕は楽器と出会った。高校の吹奏楽部に入部していた6歳上の姉がトランペットを持ち帰ってきたのである。
金色に輝くトランペット。まず父が得意げに軍隊ラッパを真似ようと試みたのだが、「すーっ、すーっ」まったく音が出ない。兄貴もやってみるが同じで「すーっ、すーっ」である。
いよいよ僕の番だ。「ぱーっ!ぷーっ!」すごいぞ、いきなり音が出たのだ。それからドレミの押え方を教わって顔を真っ赤にして吹いてみる。実に愉しいのだ。
これが楽器と初めて出会った記憶である。「中学に入ったら絶対に吹奏楽(ブラスバンド)をやるんだ」そう家族に宣言したかもしれない。
当時の我が家にはピアノはなかったがオルガンがあって、それを遊びで弾いていた記憶はあるが、僕にとってはそれは楽器ではなくあくまでオモチャであった。
「仲間との出会い」
中学に進学した。ひたすらトランペットを吹きたくて同級生を数人誘って迷わず「ブラスバンド部」に入部した。
その中学には「ブラスバンド部」はあっても年に1〜2回、文化祭と体育祭でマーチを演奏する程度で大した活動はしていなかった。
一緒に入部した同級生は「ユーフォニューム」「パーカッション」「トロンボーン」「クラリネット」「ピッコロ」「フルート」そして僕が「トランペット」。同級生だけでちょっとしたアンサンブルが完成する。
全員がはじめて楽器に触れる初心者ばかりだったので、周りの先輩たちのマイペース振りをよそ目に早朝から夕方遅くまで必死に練習した。当然上達は早かった。
僕らの真剣な練習振りに先輩たちも刺激されたのか、徐々にではあるが「ブラバン」が「吹奏楽団」らしくなっていったし、僕らが2年に進級する頃には皆そこそこのアマチュアミュージシャンになっていた。それからのブラスバンドは本当に愉しかった。演奏すること、合奏すること、拍手をもらうことの快感のなんと素敵だったことか。よい仲間と出会えたことに感謝した。
「ギターとの出会い」
そんな充実したブラスバンド生活に魔の手が忍び寄る。「ユーフォニューム」担当の同級生があろうことか「エレキギター」を学校に持ち込んでしまったのである。これには参った。もう降参である。
ちょうど世間では「ベンチャーズ」や「ビートルズ」「ローリングストーンズ」そして「PPM」や「ブラザーズフォー」などのギターを中心にしたバンド音楽が溢れ、日本のフォークブームに火がつきはじめたころである。ブラスバンドよりも面白いから、当然ギターに夢中になる。「ユーフォニューム」が「ベースギター」に、「トロンボーン」が「エレキギター」、「パーカッション」が「ドラムス」に、そして僕も「トランペット」が「エレキギター」になり、ロックバンドが結成された。「ベンチャーズ」からはじめた演奏コピーは次第に「マウンテン」「レッドツェッペリン」「ピンクプロイド」「グランドファンクレイルロード」などのハードロックに変化していった。アコースティックサウンドが加わってくるのは18〜19才になってからだから、この頃には「マーチン」などという楽器は全然出てこない。
余談だがその頃の「ドラムス」はあの伝説のロックバンド「キャロル」の初代ドラマーとなった。傍にいた女の子は「迷い道」でメジャーデビューした。
「想い出」
もう年かな。あの頃の次々に色々なモノや仲間と出会えた想い出を振り返りやたらと懐かしく思える。
「贅沢だったなぁ」今は傍らにあの頃には高嶺の花だった楽器があるのだが、「あの頃の自分は本当に贅沢な時間を過ごしていたなぁ」心からそう思える。
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