2004年7月12日
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     「ああ、憧れのD−45」(文中敬称略)
 
(アコキング。/47歳/東京)
 

私がギターに興味を持ったのは1971年で、当時中学1年でブラスバンドに所属しトロンボーンを吹いていたのですが、同じボントロ仲間の家に遊びに行った時に彼がギターを弾き始めたことがキッカケでした。

時代は70年安保・学園紛争の末期で、フォークソングと言えば60年代に吹き荒れたベトナム反戦歌ブームが沈静化し、高田渡や加川良などの第一世代と交代する形で吉田拓郎や井上陽水などの新人が第二世代としてデビューした頃だったと記憶しています。

ですから私は高田渡がオピニオン・リーダーだった時代のフォークソングはほとんど知らず、吉田拓郎に代表される第二世代の影響をモロに受け、いわゆる「四畳半フォーク」がやりたくてギターを弾き始めました。

そんな中でマーチンやギブソンの存在を知ることになるのですが、当時大学生だった人達の間ではまだまだブルーグラスが盛んで、彼らの間ではもっぱらマーチンと言えばD−28でありました。

ですから私が中学生の頃に大学生だったメンバーの方々は、D−28に特別な思い入れがあると思います。「D−28徹底研究」の管理人である染村氏なども、まさにこの世代です。

しかし私がコピーに明け暮れた70年代前半に隆盛を極めた内外のミュージシャンは、D−28と同等かあるいはそれ以上にD−45の使用頻度が高く、私の世代は皆ガロやCSN&Yの写真を見てはヨダレを垂らしていたものです。

特にバーチカル・ロゴとヘキサゴン・インレイは、遠目に見ても誰もがマーチンと一目で分かる証で、国産ギターがすべてD−28のコピーモデルという市場においては、たとえ本物でも遠目では瞬時にマーチンと認識されず、これは私にとっては大いに不満なことでした。その点ギブソンはデザイン的に他メーカーと一線を画していたので、多大なプラスポイントに思えたものです。

従って、皆さんにとっては取るに足らない理由かもしれませんが、たとえD−28がすべてのドレッドノートギターのデファクト・スタンダードであったとしても、私はD−28を欲しいと思ったことは一度もありません。
随所で書いておりますが、一目でマーチンと分からないのでは所有欲が満たせないのです。

という訳で15年振りにギターを再開した今でも、音の良し悪しとは関係なく私にとってマーチンとはスタイル45(というよりバーチカル・ロゴ&へキサゴン・インレイ)でなければならないのであります。それも70年代の。

しかしスタイル45は高いよなぁ…。
 
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