2004年7月14日
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「わたしの情けないギター遍歴」
 
(輝/43歳/千葉)
 


初めて手にしたギター、それは兄からお下がりのガットギターでした。
特にギターに興味があった訳じゃないけれど、知らないうちにコードを追っかけていました。指を一本一本、弦に添えてAm・・・、Dm・・・、C・・・ イライラの続く毎日でした。

そして、なんとか形になった初めての弾き語りが吉田拓郎の“旅の宿”。今から思えば決してカッコ良いとはいえないけれど、当時の自分は自己満足の固まりだったように思えます。(母からは、「ウルサイ」の一言)

やがて、ピックガードのついた“フォークギター”というものの存在を知り、バイトでやっと買ったYAMAKIのフォークギター(型式は記憶にありません)。嬉しくて、たいしたテックニックは無いものの、当時(高校時代)のギター仲間と弾きまくっていました。

その時、友達が持っていたのがD−35。初めてマーティンと言うギターの存在を知りました。YAMAKIのギターをやっと買った私にはマーティンを手にするなんて夢のまた夢・・・・・、「マーティンがなんぼのもんじゃ〜、わしのYAMAKIと音は変わらんじゃんか」と思ったものでした。

高校卒業・・・就職・・・結婚・・・育児・・・よくありがちなパターンですが、やがてギターへの気持ちも薄れ、チャンスがあればいつか一夢と思い上京したものの、気づいてみれば40歳に手が届く年齢になっていました。

そして、生活に余裕が出来たわけじゃないのですが、知り合ったギター友達の影響で又ギターを初めてみようと思い、新たにギターを買いました。安いサラリーで子育て中の身、少ない小遣いでやっと買えたのがヤマハのギターでした。

その後、ギターを再度弾き始めるきっかけを作ってくれた友達にたぶらかされて、思案に思案を重ねて(家計への影響、自分の小遣い…)、昔からの憧れだったD−18をやっと手にいれることができました

ギターを語る程の蘊蓄やギターテクニックは今も無いですけど、2本並べて細々と練習する日々です。(今は、奥様から「ウルサイ」の一言)

ギター友達から知らされた “オヤジの応援団”。
同年代の人たちが集まる気軽な所と思ったものの、皆さんの持っているギターは凄いし、テックニックには正直いって圧倒される思い(まだ2回ぐらいしか顔をだしていませんが)ですが、いつか皆さんの前で演奏できる日を楽しみに、下手なギターを小脇に抱えて、日々(各週末)練習の今日この頃です。

 
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