2004年8月25日
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「赤い花白い花」から
 
(Garnet-KAZ/43歳/群馬)
 


赤い鳥のEP「紙風船」のB面曲に「赤い花白い花」という歌が入っていた。「赤い花つんであの人にあげよ・・・」。潤子さんと泰代さんのきれいなハーモニーと、バックに流れるシンプルなギターの音色。優しくてそして少し切ない、歌詞とメロディ。
この歌が大好きだった。聞く度に何故か胸がきゅんとなったりした。ギターを弾き始めたばかりの、1973年・中学1年の僕にとって、かけがえのない曲のひとつだった。
作詞作曲は「中林ミエ」。こんなにステキな歌の作者ってどんな人なのかなぁ。残念ながら、明星や平凡の歌本を見ても、フォークのどんな歌集を見ても、この名前は「赤い花白い花」の作者のところでしか目に出来なかった。だからだったのかもしれないが、この名前が、それからもずっと気になっていた。

何年か経って、「四季の歌」ヒット後の芹洋子さんが、この「赤い花白い花」をカバーした。芹さんの勢いに乗って、やはり結構ヒットした。1977年だったかと思う。
その頃、僕は高校生だった。そしてたまたま、僕の地元・群馬の地方新聞にこの歌の作者が紹介されている記事を見かけた。驚いた。この歌の作者の中林さんは、なんと群馬県内に住んでいるそうだ! 
いつか、会いたい。ホントにそう思った。でも、ご本人を探し当てる勇気と図々しさまでは、その頃の僕は持ち合わせてはいなかった。

アコースティックユニット「ガーネット」を名乗って僕が妻と一緒に演奏活動を始めたのは2000年の話だ。僕と妻が知り合ったのは1982年だったから、僕はその頃から18年間に渡り、妻に、件の赤い鳥版「赤い花白い花」を聞かせたり、一緒にハモらせてみたり、作者の中林さんは今でももしかしたら群馬に住んでいるかもしれないんだなどと話したりしていたわけで、勿論ガーネットでも「赤い花白い花」はしっかりレパートリーにしていた。

そしてガーネットとして活動を始めてちょうど1年後の2001年。たまたま見ていた新聞に、僕は「中林ミエ」の名前を発見した。正しくは、銅版画家・中林三恵さん。個展開催のインフォメ記事だった。「赤い花白い花」の・・・、ともある!
個展最終日に、僕は妻を連れて会場に行ってみた。会場に着いて、版画たちを見させてもらっていたら、会場内のテーブルの所に、もしや、と思う女性がいた。思い切って話しかけてみた。にこやかに応対してくれたその女性は・・・やはりご本人だった! 
「赤い花白い花」と「中林ミエ」と言う名前を知ってから実に28年。思い続けていれば、いつか夢は叶う。ホントにそう思った。

以来、中林さんには、中林さん作詞の詞に曲を付けさせてもらったり、そうして出来た中林さんとの作品を私たちのCDにも収録させてもらったりライブでも演奏させてもらったり。はたまた私たちのライブにも幾度となくおいでいただいたり、CD販売等でたくさんの応援もしていただたり。そして多くの皆さんをご紹介してもいただいた。本当に随分とお世話になっている。また逆に中林さんの作品展に足を運ばせていただく事が、私たちの楽しみのひとつにもなった。音楽をやっているおかげなのか、こういう出逢いが、他にもやはり、たくさん、ある。人との出逢いは、なんだかとってもステキなものだなと、今日もしみじみ、思う。


■中林三恵さんのサイト「歌うための詩」
http://www.d6.dion.ne.jp/~nkbmie/
このサイトにある詩を元にして、中林さんと私との共作による新しい歌もいくつか生まれています。



   
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