2004年9月23日
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「いわゆるギターが“呼んでいる”状態、
および感覚、またその周辺など」
 
(Ken/45歳/東京)


お茶の水は私にとって魔境、魔界である。はなはだよろしくない場所だ。
はっきり言って、出入り禁止にして欲しいくらいである。

「ちょっと時間ができたから、ちょっとだけ、本当にほんのちょっとだけ寄って行こうか」という、極めてお気楽な気持ちで立ち寄っただけなのに・・・。
帰るとき、改札を通り抜ける私の片腕にはなぜかギターケースがぶら下がっていたりする。ふらふらと何の目的もなく、単にヒマつぶしで楽器屋に入っただけなのに。

何十台、店によっては百台以上もずらっと並んでいるのに、なぜかその中の1台とがっつり目の合うことがある。

「おい、おまえ、オレを買えよ」 ギブソンはこんな感じ。キャラは圧倒的に男だ。

「ワタシを買ってください」は マーチンか。ギブソンに比べると、やっぱり繊細で女っていう位置づけみたいな。

ふん、うぜえ。反射的に目をそらす私。
その手には乗らねえよ。だって、今日はカネ持ってないし、そもそも買う予定なんかないんだし。帰るよ、ボクは。

きびすを返した私の背中にギブソン野郎が突っ込んで来る。

「カードがあるだろうが、カードが。買えよ、オレを買わねえとあとで後悔すんぞ、おら。」

後ろから攻めてくるギターのアオリもタチ悪いが、店員サンにも悪質なヒト(笑)がいたりする。

「このLG-1ですか、お客さん、良く気がつきましたね、お目が高い。これはね、58年モノ、昭和33年製ですよ。1弦から6弦までシッブーい音で、とにかく良く鳴るんですよ〜」 そう言いながら、くだんのLG-1を壁から器用に降ろしてくれる。
「チューニングしましょか? あ、いいですか、わかりました」

自分自身とは、もうかれこれ45年以上の付き合いになる。
いったん弾いたりすれば、もう後には戻れない自分を熟知している。

それにしても。悪魔のお言葉には容赦がない。

「ああ、そういえばね、ミゾロギさんっていう、いつも名古屋から来るウチのお得意さんなんですけどね、セミプロの。あの人がこないだこれ弾いて気に入っちゃってたな〜。そうだ、明日あたり来るようなこと言ってたっけ」

さらにとどめのささやきが邪悪に響く。

「まあ、お客さんみたいな通(つう)の人なら先刻ご承知のこととは思いますけど、こういう質の高いギターっていうのは、将来高値で売れる可能性を秘めていますからねえ。何ていうんですか、ひとつの“投資活動”、インベストメント・アクティビティの一環と捉えて頂いても、あながち間違いではないでしょう」

念を押すように、店員サンが私の目をしっかりと見据えてよこす。

1) 今年は車検。でも、なるべくパーツ交換をしないようにすれば、いくらか捻出できるかも。
2) パソコン、3年目で買い替えの時期だけど、まだ使えるよな、アレ・・・。あと2年は持つだろ。
3) GDPの数字からしても(なんでいきなりこーゆーマクロの話に飛躍すんの?)、まだまだ来年の日本はプラス成長だろうから、タブン給料だって上がるぜ。
4) オリジナルのシェルケース付きだろ? 音だってガリンガリン良く鳴るし、こんなん出てこないって。
5) セミプロギタリストの“ミゾロギさん”が気に入っているんなら間違いないはず。大体もって、そのヒトに持って行かれるのもヤだしな〜。

ふと財布をのぞけばVISAカードがちょこんと顔を出していたりする。

リボ、大丈夫ですよっ、大将!

駄目、だめ、ダメ、絶対駄目。リボなんて、要するに借金やんけ。でも、借金じゃなくて、リヴォルヴィングなんだよな、『ウ』にテンテンだし、英語だし・・・(意味不明)。

誘惑に完敗の瞬間?私にとっての、さしずめ the moment of truth ってところか。

かくしてカモの一丁あがりと相成る。カモが私なら、VISAカードはネギだね。楽器屋はもちろん伏魔殿。

「そんなん、御茶の水に行かなければエエだけやろ? 意志薄弱の典型。アホクサ」、「単に自制心がないっていうか、弱いだけじゃん。見るだけで買わなけりゃ済む話でしょう」、「全然っわっかんな〜い。バカみた〜い。ご利用は計画的にってゆ〜じゃない」

ヤメトケと思いつつ、ついつい御茶の水に足を踏み入れてしまう状況。
楽器屋でずらっと並ぶギターのうちの、たった1台とだけ目がばーっと合う感覚。
相思相愛で強烈に惹き合う感じ。

すべて常人の方々には理解不能らしい。いくら説明してもわかってもらえることは稀有である。やっぱしオイラってダメなヤツなのかも。

唯一わかってくれたのはヨシノだった。私の肩をぽんぽんと叩き、口角泡を飛ばしながら熱く語るヨシノ。

「あ〜、わかるわかる、オレもさ、仕事の帰りに山手線で新宿とか通りかかるじゃん? で、あ、今日は木曜だからカオリが出勤の日だな、うん、ちょっとだけ、挨拶がてらちょっとだけ寄ってくかなとか思ったりするわけ」

ほう? それで?

「ビール1本で帰る!とか固く誓って、カオリちゃんの前でも最初に男らしくそう宣言すんの。カオリン、ごめんよ、今日はヲヂサン忙しいんだ。ちょっと顔見に来ただけだよ、すぐ帰っからな、寂しがっちゃだめだぜ」

なるほど、正しいやり方だな。キャバクラなんて、まして指名なんてすれば1時間万単位で持って行かれるんだろうし。うん、正しい。

大きくうなづく私の言葉を受けて、ヨシノが続ける。

「それがさ、気づいてみればラストまでいて、終電がなくなってから、昔から顔なじみのキャバ嬢と職安通りで焼肉とか突っついてたりすんの。あ、ちなみに相手はカオリじゃなくてね。我ながらしょーもねーなーとは思うよ。でも、キミの言う、御茶の水に呼ばれる感覚とかギターと目が合う状況って、オレにとっての新宿やカオリのケースと一緒だよ。よーくわかるよ、よーくね」

あほ。

オレの場合はね、やってんのは高尚なゲイジュツ、音楽なのよ、オンガク。れっきとした芸術的表現行為なの。歌舞伎町やキャバ嬢と一緒にしないでほしいね。

でも。

実際のところ、あまり・・・、じゃなくて「全然」変わらないのかもしれない。
つまり、ヨシノと私とはまったく同類かもしれないってことだ。

そんな危惧を払拭すべく、私は一気にビールをあおると、大ジョッキの追加を頼んだ。


<追記> 
結局、LG-1は購入してしまいました。現在iBEAM のアクティブ・ピックアップを仕込んであり、主としてリードプレイで活躍してくれています。写真は今一番気に入っているギター、’ 70年製のD-18Sです。ネックは太くて短いし、同じく所有しているD-18(’ 73年)と並べると何とも不恰好、そして何よりも弾きにくいことこの上ないです。しかし、その乾いた音、マホガニーらしい音に完全にやられました。ずしんと響く低音系、綺麗に伸びる高音系ともども、気に入っている1本です。あわよくば、巷でもうちょっと“S”シリーズに人気が出てくれると嬉しいんですが・・・ね(笑)。


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