2004年10月4日
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「宴会ギタリストの光と影」
 
(のぼる/44歳/東京)


アコースティック・ギターを弾いて30年になりますが、弾いていて一番楽しいのはお酒のある席で、誰かが歌うのを伴奏をすることです。自分で歌うことももちろん嫌いではないのですが、でもそれより誰かのために弾いて、その人が気持ちよさそうに歌うのを弾きながら感じるのがもっと好きです。

友人との宴会の席には必ずと言っていいほどギターを持って行きます。ちびMartinのLXMを昨年の発売直後に買ったので、持ち運びがずいぶん楽になりました。私が参加する宴会は、最後は必ず歌う宴会になることがわかっているので、参加者もそのつもりでやって来ます。いい感じでお酒が回ってくると、じゃあ、そろそろおっぱじめましょうか。みたいな感じで。

この時に活躍するのが自由国民社が出した「セメント・フォーク大全集」という分厚い歌本です。メンバーの中でも持っていらっしゃる方は多いのではと思います。「セメント・フォーク」という言葉は、おそらく造語と思いますが「とにかく、この曲ははずせないでしょう」という評価が固まっている曲を集めたという意味だと思っています。

選曲・監修はあの坂崎幸之助先生(アルフィー)。「宴会ギター」を趣味とする人にとっては、まさに神様のような存在です。坂崎さんみたいに、どんな曲でも楽譜なしでスラスラと、そしてツボを抑えたフレーズを織り交ぜながら伴奏できたらすばらしいですね。

私自身が歌うことは少ないので、宴会中はひたすらカラオケマシンと化して、延々とリクエストに応じてギターを弾き続けます。休む間もないので、1時間を越えた頃から、だんだん指先が痛くなって来ます。省略コードもあまり使わないので(というか使えない?)、楽譜がフラット3つとかになるとバレーコードの連続で人差し指全体も赤く腫れてきます。

歌う人は、順番以外の時は飲み食いしていますが、私は両手がふさがっていてそれもできません。痛さと乾きに耐えながらひたすら弾き続けます。なんか書いていてだんだん自分がかわいそうになってきました。でも、これが楽しいんだからしゃあないです。(ちなみにたいてい4時間くらいはやってしまって、その次の日から数日はギターが弾けなくなります。)

私は中学に入る1973年以前のフォークシーンについて、あまり詳しくないので、おじさん達が歌いたがる高田渡とか加川良とか岡林信康とかだと、知らない曲もたくさんあります。その場合は頭出しを少し歌ってもらって、曲のだいたいのテンポと雰囲気を想像しながら、勝手に伴奏をアレンジします。初めて聞く歌を伴奏しながら、これはいい曲だなあなどと思える時は、それでまた楽しいです。

30年も弾いているのに、テクニック的にはあまり上達がありませんでした。リットーのソロギター集の「難易度A」でも、かなり苦労する程度。でも、ギターを弾かない一般人の集まりで、初見でそこそこの伴奏ができれば、参加者からは「ギターがすごく弾ける」と褒め称えられます。そういう間違った評価はおしりがむずむずして困るのですが、でも、みんなの喜ぶ顔を見ながら伴奏するのは本当に楽しくて、ギターを弾いていて良かったなあとつくづく思うのでした。


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