2004年10月16日
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「ぷるるんな心」
 
(酒呑童子/45歳/兵庫)


“Martin Guitar Freaks”、 私はこのHPを恨んでいる。それは嘘である。でも少しは恨んでいるかも知れない。むろん感謝の気持ちの方が大きいが・・・。

学生時代のバンド仲間とも、就職を機に散り散りになって、社会人となってからは、ほとんど手に取ることもなかったギター。結婚した時には一応、中学時代からの付き合いである国産アコースティック1台と、学生時代に最も活躍したセミアコ1台を新居に持っては来たものの、弾きもしないのに、押入れを占領するバカでかいハードケースは、常に妻の顰蹙を買っていた。

就職以来、ずーっと「仕事」を生活の中心に据えて、がむしゃらに走り続けてた。人並みに家庭も築き、二人の子供にも恵まれた。しかしふと気付くと、年齢も40半ばにさしかかろうとしていた。

そんな中、これまでの無理が祟ったのか、少し体調を崩してしまった。水泳で鍛え上げたこの肉体。盲腸を切った以外、医者とはほぼ無縁の生活を送ってきたのに、この身体が壊れるなんて。ショックだった。人間は気弱になると、来し方行く末に思いを馳せてしまう動物である。

自分のこれまでの人生を振り返ってみる。仕事以外何も見当たらない。俺には仕事があるじゃないか。でも、職業人としての人生は、もう既に半分以上過ぎてしまっている。「えっ!?」である。人生を楽しむという点において、自分には人様に誇れるようなものが、何一つ無いことに、この時初めて気付いたのである。

「仕事を取ったら俺の人生の楽しみはどこにあるんだろう?」私は、途方に暮れた。そんな鬱々とした思いを胸に秘めながら、自宅で持ち帰り残業を仕上げた深更、気分転換にネットサーフィンをしていた時、たまたま出くわした “Martin Guitar Freaks”。

1970年代をギター小僧として過ごした者にとって、「マーチン」という言葉には、ある種の神聖な響きが含まれているように思う。永遠の憧れ、手に入れたいけど手に入れてはいけない物。ギター小僧だった少年時代、町の楽器屋に出掛けていって、ギター売り場の一番奥で、鍵のかかったガラスケースの、そのまた一番いい場所に吊され、威光を放ちながら私を睥睨していたギター。それがマーチンだった。

ところがそのHPのトップページにはこう書かれていた。

若い頃に、手の届かない存在であったMartin Guitar… 数十年を経て、その憧れのギターを手にしたある日、高まる鼓動とともに思いは時空を越え、あの頃の夢や理想が蘇ってきました。

えっ!?俺が買ってもいいの?買うことが許されるの?いや、買っていいはずはない。マーチンなんだから。でも、買ってもいいならやっぱり欲しい。
HPの掲示板に書き込まれた、マーチン・オーナーの皆さんの書き込みをむさぼり読みながら、私の頭は混乱し、千々に乱れていった。心臓がバクバクと鼓動し、頭に血が上り、手が小刻みに震え、身体全体が熱を帯びたように火照った。

何だこの感覚は?初めてではないような、何か懐かしいこの感覚・・・?。

自分の身体に起こっているこの現象を、少し冷静に分析してみた。そう、そうだ。それは高校2年の秋、人生初の男女交際となった、同級生の女の子と震えながら交わしたファースト・キス。あの時の感覚だ。40半ばにさしかかり、すっかり忘れていたこのときめき。このHPはそれほど私の心を大きく、そして激しく揺さぶったのである。

これは何かの縁だ。ギター小僧として青春を過ごしたこと、齢40を越えて体調を崩し、自分の人生を振り返る機会を得たこと、そのタイミングでこのHPに巡り逢ったこと。全てが繋がっている。このトップページに書かれている文章は、俺そのものではないか。私は勝手にそう思いこんだ。

買うしかない!私はためらうことなく、次の朝、職場の庶務の女の子に財形貯蓄の解約手続きを依頼した。もちろん妻には秘密である。

000-28EC、D-28GE、Gibson J-50、DM(息子用)、000-M(娘用)。
ふと我に返った時は、たった半年足らずの間にこれだけのギターを買い込んでいた。冷静に考えると、我ながらやり過ぎである。それぞれの音についての蘊蓄は、私がここで書き連ねたところで、これをお読みの方々には釈迦に説法なので、控えることにする。

が、しかし。ギターを弾くためにワクワクしながら帰宅の途に着く日々。カラカラに干からびていた私の心が、今や瑞々しくたっぷりと養分を含み、ぷるるんと弾力を帯びて元気になったことだけは、紛れもない事実ではある。


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