2004年10月21日
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「もう一度ギターを・・・」
 
(CYD/44歳/静岡)


 10年間ほど、ギターを弾かない時期があった。いや、弾かないというより、弾けないといったほうが正しい。
 
 今から20年前、仕事中の事故で、左手中指に大怪我をした。第一関節から上は、皮がすべて無くなり、大きく肉が削げていた。
「もうギターが弾けなくなってしまった」
真先に頭に浮かんだのは、このことだった。ギターを弾けないのも辛かったけれど、ギターを見るのはもっと辛かった。大切にしてくれる人の手に渡ることを願いつつ、当時持っていたD−35とCat's Eyeを手放した。
 
 怪我をしてから1年もすると、肉もついてきて、薄いけれど皮も元に戻ってきた。もしかしたら、と思い、店先のギターを手にとってみる。久しぶりのネックの感触を楽しむ暇も無く、何本もの針を思い切り突き刺したような激痛が走った。
「やっぱりだめなのか」
未練がましい自分に腹が立ったが、ギターが弾けないことがこんなにも辛いとは・・・、何とかしてもう一度弾けるようになりたい・・・、そんな思いが湧き上がってきた。
 
 ある時、三味線という楽器は、中指をあまり使わないという話を聞いた。糸は絹で柔らかい。
「これだ!」
早速、近くの民謡教室に入門し、指導を受けるようになった。確かに、中指の使用頻度が少なく、たまに使っても、痛さは鉄弦の比ではない。おまけに、ギターを弾く感覚がそのまま使える。そのためか上達も早く、いつしかこの楽器にのめりこんでいった。
 
 ギターを諦めたわけではない。その後は、出かけるたび楽器屋に寄っては、ギターを手にしていた。三味線によるリハビリ効果なのか、少しずつではあるけれど、指の痛みが薄れてきていた。その痛みが何とか我慢できる程度になったのは、10年ほど前である。
 
 またギターを弾いている。今度の相棒も、D−35とCat's Eye。そしてES−335とS−101が新たに加わった。もちろん、三味線もある。今でも時々、指が痛くてたまらない時がある。長時間弾くことは、まだちょっと無理のようだ。出来なくなった曲もある。でも、弾けない苦しさを知った分だけ、弾くことの喜び、楽しさが実感できるようになった。三味線も弾けるようになったし、以前より充実しているような気がする。

 古い言葉を思い出した・・・「人間万事塞翁が馬」


 
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