2004年10月30日
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「ギターと私」
 
(すたっく/46歳/東京)


音楽に興味を持ち始めた中学2年(1971年)の私は当時荻窪南口駅前にあった黒澤楽器店で4000円のガットギターを買いました。
当時、70年代フォーク全盛で、そのせいか、ギター雑誌(ヤングギター、Guts、新譜ジャーナルなど)にtab譜が掲載されていて、ギターを覚えるには便利な時代になっていました。

それらのtab譜を参考にしてガットギターとハーモニカで吉田拓郎の「旅の宿」、「祭りのあと」、「イメージの詩」、「青春の詩」を皮切りに、ボブディランの「風に吹かれて」、「くよくよするなよ」、「女の如く」、S&Gの「サウンド・オブ・サイレンス」、「アイ・アム・ア・ロック」、「四月になれば彼女は」やビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」、「マザー・ネイチャーズ・サン」やジェームズテイラーの「ファイアー・アンド・レイン」、「君の友達」、果てはガットギターでR&Rの「ジョニー・B・グッド」をやったり、山口百恵の「ひと夏の経験」もやったりしていました。

そのうちガットギターでは飽き足らなくなって、御茶ノ水のカワセ楽器でフォークギターを買いました。マスターは高かったのでビリーという銘柄を買いました。確か48000円でした。
そして、そのギター弾きまくりました。ネックの塗装が剥げるまで。今でもそのギターは手許にあります。
 
でも80年代に入り社会人になり、忙しい日々を送っているうちにギターを弾かなくなりました。
バブル時代でした。フォークギターもなんか少し時代遅れでダサい感じさえしました。生活も仕事も楽しいもんでした。当時、若くて自惚れの強い人間で、女の子と遊んだり酒を呑んだり、気分は世の中の風潮と同じくバブルそのものでした。昭和元禄なんていう言葉も聞かれました。20代から30代前半まではそんな調子でした。ギターはギターケースに入ったままで埃をかぶるようになりました。
 
90年代に入り30代後半ともなると、世の中全体も不況となり、気がつくと仕事もきつくなってきました。健康も害することもあり、世の中ままならないと思うことが多くなってきました。人生でも仕事でも挫折を味わいました。いやな奴だった自分に皆愛想をつかして友達もいなくなりました。孤独感にさいなまれました。

そんなこんなで、21世紀に入って気がつくともう40代後半に差し掛かっていました。ときどき、おれは一体いままで何をしてきたんだろうと自問することも多くなってきました。 

そんな折、駅前で路上ライブをやっている若者2人組みに出会いました。ギターとマンドリンでブルーグラスをやったりビートルズをやったりしているコンビです。聴いてみると演奏、唄もいいのですが、2人組のキャラクタも絶妙でした。息がぴったりあっているという感じで。
そして自分自身のなかで音楽に対する昔の火がまた着火するのを感じました。

そのコンビと話をしたりしているうちに打ち解けてきて、一緒に混じって演奏したりするようにもなりました。年齢が15歳離れているのにアンサンブルして音が合ってくる瞬間はなんともいえず楽しいものがあります。

ギターもとうとうマーチンD−45を買ってしまいました。80万円以上しましたが、昔のあこがれでもあるし弾いてみると音もいいし、大枚はたいて手に入れました。こうなるとなんかもう止まらない。更にはギブソンのモンタナゴールドも買ってしまいした。これもいい音します。

そして、今や、ヤマハのサイレントギターで会社の行く前、帰宅後、練習しています。まるで、ギターを始めた中学生の頃のように。いや中学の頃は時間がたくさんあったから学校に行く前は弾かなかった。今は自分の時間は圧倒的に少ない。だからギターに触れられる時間はいつもできるかぎり触れるようにしています。
 
指先の胼胝も再びだいぶ固くなってきました。上達の速度が若い時のようなわけにはいかないけれど、すこしづつは上達してレパートリーも増えてきました。最近はクラプトンの「レイラ」、浜崎あゆみの「SEASONS」などをよく弾き語りしています。
 
また楽しくなってきました。少年の頃にように。
昔とは違うのは生きることのつらさ、せつなさを知った上での楽しさというところでしょうか。
 
ガットギター、ビリー、D−45、サイレントギター、モンタナゴールドが今手許にあるギターです。
 
まだ、応援団のイベントには参加したことはありませんが、近いうちには、柏のキッチンパタータなる所でギターを抱えて登場してみたいものだと企んでいます。


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