2004年11月22日
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「私とギター」
 
(テツ/43歳/神奈川)


今の私にとってアコースティックギターは切っても切れない存在となった。
アコースティックと呼ばれる楽器は、この10年ぐらいで何故か増えていった。
高校1年の時に必死にバイトをして買った「K.ヤイリ YW-1000」、10年前に楽器屋でたまたま見つけて、その音に惚れこんで衝動買いした「Ovation ADAMAS 1713-X」、そして愛器マーチンD-28。
特にオベーションとマーチンはメインの楽器としていつも良い音で私のつたないプレイに答えてくれる。

そもそも私がこんなにもアコースティックギターを弾き始めたのは3年ほど前から。
ギターと言うものを弾き始めてから今年で29年になるが、高校3年から28才ぐらいまでは殆どエレキギターを弾いていた。
28才から33才までは殆どギターを弾いていなかった時期があり、ひょんな事からJAZZバンドに参加する事になり、またギターを弾き始めた。 甘くて太い豊かな音が欲しくて、当時アメリカに住んでいた友人に頼んで、ギブソンES-335で状態の良いものを探してもらい、チェリーの335を手に入れた。

フォークから始めてロックで育った自分がJAZZに馴染めるわけも無く、ましてや譜面など全く読めないのだから、コードネームとその場で鳴っている音を手がかりに、無謀にも「アドリブ」というものに立ち向かってゆく。
最初は全く理解できなかったJAZZも2年、3年とプレイしていくうち耳慣れてきて、感覚的に理解し始めると「結局出す音が気持ち良ければ何をやっても良いんだ…」という事に気がつき、以降JAZZにどっぷりはまっていった。

そんな折、ある別の趣味の集まりで、友人の1人があるギターも持って来た。 マーチンD-28だ。友人曰く、「大学時代に買ったものだけど、今は全然弾かないし、仕舞って置く位だったら誰かに弾いてもらった方がいいと思って…」と私に無期限で預けると言うのだ。

高校生の頃憧れだったマーチンが今目の前に……興奮して手に取り弾いてみると、やはり素性の良い音がする。ただ、ネックが捻れている所為で弦高が高い所や低くてビビル所があり、コンディションはあまり良くなかったが、ひとまず引き取る事にした。 引き取ったと言っても、時々出して眺めたり、軽く弾く程度で、今ほど弾いていなかった。

そこで登場したのは、今や私の大切な相棒のギター弾きの友人。
とにかくギターが上手い。家にたまに遊びに来てはずっとギターを弾いている。とにかくひたすら弾いていた。以前私のES-335を弾いて、「お!結構いいじゃない」と言っていた彼に見せようと預かったマーチン君を見せると、やはりコンディションは悪いが、音の素性は良いらしい……と言うより、ちゃんと直せば凄く良い音がする予感がするというのだ。

彼の知り合いで、ミュージシャンには凄く有名な腕の良いリペアマンがいて、このギターを出してくるから暫く預からせてくれと言う事になり、ギターを修理する事に。その時出した注文が、ネックの捻れの調整、フレットの打ち直し、指板のすり合わせ、弦高の調整などである。

約1ヶ月半後、マーチン君が戻ってきた。
弾いてみる……す、凄い!!手触りは新品で出てくる音は乾いた深みのある芯の通ったビンテージサウンド。しかも、弦高が低くとても弾きやすい。
暫く弾いていると「ちょっと弾かせて…」と彼が言ったので弾かせると、「えっ、物凄くいい音。しかも輪郭がしっかりしてる…」と思わず声に出して言ってしまったほど音の違いに驚いた。再度私が弾いた後、彼が一言「テツ、ギターの音が出てないよ。弦の振動がボディに伝わってない…」

今思えば、当時は撫でるように弾いていただけ……今と比べて左手の指も出来ていないし、つまり左手と右手のバランスが悪かったと言う事。要するに右手で幾ら強く弾いても、右手の指が弦をしっかり押さえられていなかったと言う事だ……情ない……。まぁ、この事があったから必死に練習して左手の握力やら指の訓練が出来たわけだが。

いろいろあって彼とアコースティックユニットを組んで早3年。
この3年間、ギターを弾くといえばアコースティックで、エレキギターは殆ど弾かなくなった。

彼のマーチンD-41と私のマーチンD-28、共に1973年製と数年前に彼がニューヨークのギターセンターで購入した1921年製のギブソンA-4フラットマンドリン。それと私のオベーションアダマス1713-X(エレガット)が基本セット。ある時はD-41とD-28、ある時はD-28とマンドリン又はD-41とマンドリン、そしてマンドリンとオベーション、オベーションとD-41……様々な組み合わせで、POPS、映画音楽、JAZZ、ブルース、歌謡曲などジャンルを越えた「良い曲」を自分たちのスタイルで演奏している。

お互い全く違う音楽活動を続けてきて、曲の解釈や表現方法も違うからこそ、お互いに刺激しあって成長できるのだと思うし、この数年でギターが上手になったと自信を持って言えるほど自分も成長したと自覚している。

40歳を過ぎたからこそ出来る演奏……若者からお年寄りまで、聴いてくれた人が「イエ〜イ!」と思わず言ってしまうような演奏をこれからも続けていきたいと思っている。

今の私にとってアコースティックギターは切っても切れない存在なのだ。


 
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