2004年12月6日
<エッセイ一覧へ>

「フォーエバーヤング」
 
(レイチ/43歳/神奈川)
 


まんがっ子でひとりっ子だった僕は、幼い頃はまんがばかり描いてました。
ただありがちな『サイボーグ009』を模写するとか、『矢吹丈』を上手に倣ねるとか、そういうことに関心はなく、ひたすらオリジナルのストーリーまんがを描き続けていました。
いま思えば、もう少し熱心に模写をしていれば、もっと絵が巧くなっていたかなぁ…と(笑)。時すでに遅し。

そうして小学校6年生まで「将来は漫画家になろう!」と強く心に決めていた僕でしたが、中学に入りあっけなく気持ちが一転。
ギターとの出会いでした。
入部した剣道部の道場。稽古が終わった後にギターを爪弾く先輩に、とてつもない憧れを覚え、僕はまんがを描くペンをギターに持ち替えました。

しかし不思議とその時も、既存の曲をコピーするということに興味は湧かず、ひたすらオリジナルで歌を作っていました。
いま思えば、もう少し熱心にコピーをしていれば、もっとギターが巧くなっていたかなぁ…と(笑)。時すでに遅し。

学生時代はバンド活動に明け暮れ、そのまま音楽が生活の中心になり、大学卒業時の就職先も音楽関係の会社に。
8年間のサラリーマン生活、流れ流されの紆余曲折を経て独立、気がついたら絵を描くことでメシを食うようになっていました。三つ子の魂…ナントカでしょうか。

一生懸命仕事をして、40歳を過ぎたら好きなことをしよう。
そう決めていたのですが、40歳を過ぎてもなかなか余裕はできない。日々に追われ、あっという間に42歳に。
このままでは坂を転げ落ちるように歳だけとってしまう!
趣味の延長のような職種ですが、それでも仕事だけの毎日に納得できずにいたのでしょう。

 ああ、あなたのような生き方も
 ああ、私のような毎日も
 人生なんだと言えるでしょうか

拓郎の『旧友再会 フォーエバーヤング』が、背中を押しました。
何かきっかけが欲しくて、ひとりギターを抱え、路上に出ました。
ゆずが歌って有名になった伊勢佐木町通りの松坂屋前。40過ぎのオヤジなんて僕しか見当たらない。汗だくで2時間歌いました。

堰が切れました。
僕にとって、絵を描くのも歌を作るのも同じこと。
せっかく描いた(作った)ものは、誰かに見て(聴いて)もらいたい。
こしらえたまま抽斗の中に仕舞い込まれていた自作の歌を聴いてもらいたくて、何かに憑かれたようにいまさらながらライブ活動を始めました。

アコースティック・ギターを抱え、首からハーモニカをぶら下げ、10ヶ月。。。
たくさんの新しい友人もできました。
別に何かと戦っているつもりなどなく、ただ好きでやっているだけなんですが(笑)、『戦うオヤジ』の存在を知り、お仲間にも混ぜていただきました。

愚にもつかない僕の歌を我慢して聴いてくださったすべての方々に感謝です。これから出会う方々にも、先に感謝させてください(笑)。
そして苦い顔をしながらも、歌いに行く僕を何も云わず送り出してくれる家族にもありがとう。
子どもみたいなお父さんでごめんね。


 
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→