2004年12月17日
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「息子をだしに」
 
(青木/49歳/岡山)
 


年が明ければ50代、自分の若い頃と同じようにギター三昧の高三の息子。女房は受験を心配する。でもなぜか怒れない。40年前の自分とダブって見えるからかな。

息子が中学に入ったときギターをやれやれとけしかけたのも私、男の子はどうせ音楽に興味を持つだろうから少しでも早くからギターくらいは弾けたほうがいい、ただそれだけの理由。

自分がギターを始めたのも丁度同じ頃、違っているのは、自分は安物のクラシックギター。本当はフォークギターが欲しかったが、母親が内職の金でおやじに内緒で買ってくれたものだったので何も言えなかった。(それでも友人でギターを弾くものはいなかった。)息子はエレキのストラト。ちょっとだけ音楽の興味が違ってる。今は教えてくれるところもある。

高校の入学祝いだと言って、頼まれもしないのにギブソンのレスポールを買ってきた。驚く息子の顔が見たかった。ただそれだけ。

飲み食いしても何も残らないが、ギターは子から孫へと伝えられる、そんなことを言い訳にマーティン、ギブソン、etc・・・自分が若い頃ショーケース越しにしか見れなかった物を『息子をだし』に買っている。

『だし』にしすぎたのか、息子の「ギター好きDNA」は増殖しすぎて高校三年間はバンドとライブハウス。部屋を覗くと試験中でもギターを抱えている。私の時代、発表の場はせいぜい文化祭。おやじは完全に追い越された。

親子の対話がないとか、家庭内暴力とか耳にするが、我が家にはギターという「絆」があったおかげでそんなものとは無縁だった。

私の若い頃、ギターを弾くのは不良だと言われた。私の知る限り、息子の仲間に不良はいない。

そんな息子も、なんとか希望の大学に受かり来春からは京都暮らし。ますます「ギター好きDNA」は増殖するだろう。

10年後、今度は『孫をだし』にギターを買っているかも知れない。


 
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