2005年1月3日
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「下手でも楽しい親父のギター」
 
(Zin/48歳/高知)
 

「人生の後半を飾る豊かな趣味を持ちたい」。
そんな気持ちで40過ぎてからのギターを始めました。

きっかけは六年生を送る会で卒業していく子どもたちが歌う
「夜空の向こう」の伴奏をしたことです。

自分の高校時代から大学にかけて拓郎、かぐや姫などの70年代フォーク全盛期で、流行に左右されれやすい性格の自分はすぐに飛びつきました。しかし、そのころは同時に部活に夢中になったときでもあり、ギターを弾く時間はあまりありませんでした。ギターお宅の友人のギター演奏を見たり聴いたりすることが多く、自分は兄のお下がりのギターをさわってはいたものの簡単なコードでストローク中心の曲を弾くだけでした。その後、社会人になってもギターは義理の妹が猫がおしっこをかけたと言って弾かなくなったYAMAHA FG をもらって少し弾いてはいたものの夢中になることはありませんでした。

子どもたちと何かを共有して卒業を飾ってやりたい。そんな気持ちもあって「伴奏をしてみたら」と言う音楽の先生の勧めを受けました。しかし、へたくそな自分が子どもたちの歌の伴奏を、それも400〜500人ほどの人たちの前で弾かなくてはならない。少々焦りました。しかし、一生懸命練習した甲斐あって、演奏後の拍手をいただいたときは本当に気持ちが良かったです。

そんな快感を覚えた私はマイギターを探し始めました。初めはギター屋さんで購入した二万円ほどのギター。これが自分が生まれて初めて購入したギターです。このギターはそれなりに満足して弾いていたのですが、ちょうどそのころ始めたインターネットのオークションを見ると・・・・・。あるではないですか、昔あこがれたギターたちが。それも自分が何とか買えそうな価格で。何本かの国産ギターを売り買いした後に、ごく自然な流れで70 年代にあこがれだったギブソンj −50 をそしてマーチンD−28 を購入しました。この二台は自分の今までのあこがれを十分に満たしてくれました。でも、この二台ももう自分の手元にはありません。人間って本当に慣れる生き物なんですね。自分が特にひどいのかもしれませんが、すぐにもっと他のギターが欲しくなってくるのです。その後も売り買いをしながら現在に至っていますが、一応所有の上限は10台ということにしております。 (・m・)クス
所有してから少しずつなじんでくるギターの音、少しずつ自分のものになってくる新しく挑戦する曲。この趣味は自分の人生を豊かにしてくれています。

「下手でも楽しい親父のギター」自分で演奏することを。ギターに癒されることを。ギターでみなさんと交流できることをこれからも楽しんでいきたいと思います。
みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします。


 
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