2005年1月17日
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「新しい音楽がおもしろい?」
 
(アデヤッコ/47歳/海外=タイ(パタヤ))
 

音楽は新しい方がおもしろいに決まっている、と思っている。

第一に新しい音楽は、常に新しい個性と感性で制作されるという現実だ。 新しい時代の波は新しい感性を生み、やがてカウンターカルチャーとして産声を上げる。一部のマニアに認知され、その認知と受容が大きくなればサブカルチャーとして新たなカテゴリーを形成し、やがてより多くの人に受容されてメインストリームとして羽ばたく。 
現代において芸術と呼ばれるその時代の文化の歴史は、常にこの繰り返しによって形成されてきたと言える。 
同時に新しい感性は、その時代を象徴するエポックとして存在するが故、我々は時代の共有感に浮遊することができるのである。

第二に、新しい音楽は、より多くの音楽的・技術的経験の積み上げのうえに制作されるからだ。様々な時代の経験を経て生まれてきた、様々な音とリズムと旋律は、新しい感性を刺激し共振し、思わぬ方向へ発散する事がある。 
そうして生まれた新しいジャンルはなぜか耳に残るのだ。 
たとえばリンキンパークの音はノイジーで暴力的だが、彼らの音楽はまさにこの時代のトーンを巧みに織り交ぜ、現代の技術と道具により創られる。 
拠って、時代を敏感に感じ取る新しい世代に支持される。 
またその音楽性は単純で分かりやすく、ポスト9.11世代の代表的なオルタネィテヴロックとして認知される。 
一方で一昔のダブを彷彿とさせるチルドミュージックは、現代のドラッグカルチャーを文化的背景とし、斬新ではないが複雑な打ち込みプログラムを多用しながらも、単純でここちよいリズムを聞かせる。

いつの時代にも異端は存在する。 
異端から先端に転じ、メインストリーム化けるのはほんの僅かであろうが、自分の感性を信じ、どう化けるのかを楽しみに、バンコクのCD屋を覗くのが、子供達を塾につれて街へ出掛ける土曜日の、私の唯一の息抜きになっているのである。

妻> うん、なかなか書けてるじゃん。 でも・・・ギター抱えると古臭いブルースばかり弾いて、娘から「ウルサイー!」と怒られる現実とのギャップはどう説明するのよ・・・ え?
私> 「新ったらしい感性」でミシシッピ・ジョンハート弾いちゃダメ?
妻> 何が新しいの、歯抜けオヤジが! 早くお皿こっちへ運んでよ!
私> ・・・音楽の本質は魂の叫び、なのだよ・・・ 君達。。

 
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