「新しい音楽がおもしろい?」 |
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(アデヤッコ/47歳/海外=タイ(パタヤ)) |
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音楽は新しい方がおもしろいに決まっている、と思っている。
第一に新しい音楽は、常に新しい個性と感性で制作されるという現実だ。 新しい時代の波は新しい感性を生み、やがてカウンターカルチャーとして産声を上げる。一部のマニアに認知され、その認知と受容が大きくなればサブカルチャーとして新たなカテゴリーを形成し、やがてより多くの人に受容されてメインストリームとして羽ばたく。
現代において芸術と呼ばれるその時代の文化の歴史は、常にこの繰り返しによって形成されてきたと言える。
同時に新しい感性は、その時代を象徴するエポックとして存在するが故、我々は時代の共有感に浮遊することができるのである。
第二に、新しい音楽は、より多くの音楽的・技術的経験の積み上げのうえに制作されるからだ。様々な時代の経験を経て生まれてきた、様々な音とリズムと旋律は、新しい感性を刺激し共振し、思わぬ方向へ発散する事がある。
そうして生まれた新しいジャンルはなぜか耳に残るのだ。
たとえばリンキンパークの音はノイジーで暴力的だが、彼らの音楽はまさにこの時代のトーンを巧みに織り交ぜ、現代の技術と道具により創られる。
拠って、時代を敏感に感じ取る新しい世代に支持される。
またその音楽性は単純で分かりやすく、ポスト9.11世代の代表的なオルタネィテヴロックとして認知される。
一方で一昔のダブを彷彿とさせるチルドミュージックは、現代のドラッグカルチャーを文化的背景とし、斬新ではないが複雑な打ち込みプログラムを多用しながらも、単純でここちよいリズムを聞かせる。
いつの時代にも異端は存在する。
異端から先端に転じ、メインストリーム化けるのはほんの僅かであろうが、自分の感性を信じ、どう化けるのかを楽しみに、バンコクのCD屋を覗くのが、子供達を塾につれて街へ出掛ける土曜日の、私の唯一の息抜きになっているのである。
妻> |
うん、なかなか書けてるじゃん。 でも・・・ギター抱えると古臭いブルースばかり弾いて、娘から「ウルサイー!」と怒られる現実とのギャップはどう説明するのよ・・・ え? |
私> |
「新ったらしい感性」でミシシッピ・ジョンハート弾いちゃダメ? |
妻> |
何が新しいの、歯抜けオヤジが! 早くお皿こっちへ運んでよ! |
私> |
・・・音楽の本質は魂の叫び、なのだよ・・・ 君達。。 |
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