2005年1月18日
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「マーチンへの道は険しく遠い」
 
(ジョンソン/51歳/東京)
 

本サイトはマーチンオーナー&ギターフリークの方々が中心ですが、私は、これまでの流れでギターに縁が薄く、また楽器にしても固定資産となるレベルのものは保有しておりませんが、音楽(偏狭なブルーグラッサーではありますが)を十分楽しんできたと思っています。ただ、憧れのマーチンへの道は険しく遠いもので、これまでの音楽の関わりを掻い摘んで述べます。

中学時代に当時2500円也のギターを皮切りに不良の人生が始まりました。出身が関西(神戸)と言う事もあり、高校時代は、モダンフォーク、関西フォークを問わず、フォークに明け暮れておりましたが、ある日、「五つの赤い風船」をラジオで聞いたのを契機にオートハープにのめり込み、また、ある日、映画「俺たちに明日は無い」を三流館で見たのを契機にバンジョーにと、試行錯誤を続けておりました。結局、これがブルーグラスとの出会いとなり、今日に至るまでの音楽人生を決定づけたようです。

当時、神戸には日本の草分けであるブルーグラスライブハウスがあり、中学、高校時代の友人(私も含め全員浪人中で勉強もしない不良少年でした。)と結成したブルーグラスバンド(私はウッドベース担当)で初舞台と踏みました。ライブハウスの看板バンドはじめ、先輩の方々から薫陶を受けました。
大学は関西方面は全て拒否されたため、東京に都落ちする破目となり、東京にて4年間ブルーグラス漬け(バンジョーを担当)の毎日でした。

就職で関西にもどりましたが、業務繁忙のため十数年は音楽とは縁のない生活を送っておりましたが、ある日、初舞台のメンバーよりベースマン(当然ブルーグラスバンドですが)の声が掛かり、以来、十年程ベースの楽しさを満喫しました。

96年に東京転勤(東京には来たくなかったですが)で、今度は東京で(バンドの)就職先を探したところ、大学時代の友人のバンドにドブロで拾ってもらい、現在に至るまでドブロ弾きとして音楽を楽しんでいます。02年からは、地元(西武沿線)の友人とブルーグラスバンドを結成し、こちらもドブロ弾きとして地元イベントを中心に活動しています。

03年からは年甲斐も無く、これまでの楽器同様独学でフィドルを始め、家族の非難を浴びつつノコギリを挽いております。

若い頃、レスターフラットのL−5のインレイのあるD−18に憧れていましたが、唄が歌えなければギターを抱える価値もなく、未だ道半ば(フィドルの次は唄か?)で、これからの半生でどこまでマーチンに近づくことができるが、重要な課題と認識しております。

それにしても、マーチンへの道は険しく遠い。

バンドのサイトです。一度、お立ち寄り下さい。
Rise and Shine http://lion.zero.ad.jp/~zas00769/RS_Top.htm
Orange Blossom http://lion.zero.ad.jp/~zas00769/OB_Top.htm
 
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