2005年3月7日
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「ギター兄弟」
 
(JN4EVL/50歳/山口)
 

 私は、四歳年下の弟とふたり兄弟である。元々私たち兄弟は、ふたりとも無類のギター好きで、そのうえ音楽的志向性もほとんど同じということもあって、中学、高校の頃から私が50歳になる現在に至るまで、エレキ、アコギを問わず、ふたりでずっとギターを共通の趣味として仲良く歳を取ってきたと言っても過言ではないだろう。

 特に弟は、中学時代からバンドを組んでグイグイとその世界にのめり込んでいき、大学時代には一時本気でプロを目指そうとした時期もあったほどで、兄貴の私から見ても弟は、アマチュアの域を確実に超える「何か」を確かに持っていると今でも思うのだ。

 しかし、それに較べるとこの私などは、ごく普通のギター大好き人間として趣味の域を出ることもなく平凡に過ごしてきたわけで、当然音楽的な実力は、弟に及ぶべくもないわけだけれど、それはそれで人並み以上に幸せな男だと自分では思っているのである。

 ところが、そんな私たちギター兄弟に6年前、ひとつの転機が訪れたのだった。それは私が突然、身の程も知らずに本物のGibson SG Standardを手にしたことから始まったのだ。

 ある日ふらりと立ち寄った地元の楽器店にそいつはあった。成り行きで何故か試奏までさせてもらうことになり、ネックを握った瞬間、「こいつは違うぞ!」という衝撃が全身に走った。とにかく理屈抜きに弾き易いのである。さすが本家は違うなとばかりに、手持ちの有り金すべてをつぎ込んで購入し、自宅に持ち帰ってしまったのだった。

 それまで何本も国産のギターを弾いてきたが、その時ばかりはGibsonの持つ「異次元」のクオリティーにただ驚くばかりであった。その日、弟も私の家に来て弾いてみてすぐにその違いを理解したようだ。そして、そのとき弟が口にした言葉が「Gibsonなんて普通の人が、そう簡単に手にしてはいけないモノなんだと何故かずっと思っていたよ!」だった。

 そうなんだ、私も正にそうだったのだ。でも、それ以来というもの、何か縛りが解けたように、ストラトやレス・ポール、オベーションと、遅ればせながら次々に本物を手に入れていき、ついに昨年になって若い頃からの憧れの的であったマーチンD-28を手に入れることができたのだ。

 こうして私たちギター兄弟が「本物」を手にして、初めて判ったことがある。それは、「伊達に値段は付いてない」ということであり、そこには価格以上の価値を持つメーカーの長い歴史や目に見えない部分に注ぎ込まれた技術、ギター職人の魂のようなものをその「音色」から確実に感じ取ることができるということである。ギターってこんなに奥の深いものだったんだな、とあらためて感銘を受けると同時に、皆さんには少しオーバーな言い方に聞こえるかもしれないが、「こんな重大な事実を知らないまま死ななくて、本当に良かったな」と、ある日弟が笑いながら私に言ったことが私にはとても印象的だった。

 6年前のあの日、私があの楽器店に行ってなかったら・・・・と思う時、つくづくギターと私たち兄弟との因縁を感じずにはいられないのだった。

 
 
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