「歌は世につれ・・・」 |
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(RYO/48歳/長野) |
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小学校4年生のとき、親戚の家で初めて弾かせてもらったウクレレ。それまで音楽の時間がいやでしょうがなかった僕が音楽に目覚め始め、親にせがんで買ってもらったウクレレでメロディをポロポロ弾いて遊んでいた。当時流行っていたグループサウンズのレコードを聴くようになり、ギターを弾くようになるまでさほど時間はかからなかった。フォークル、そしてシューベルツの「風」をクラシックギターにスチール弦を張ったようなギターで練習した。
中学になり、洋楽も聴くようになった。初めて買った洋楽のシングルはショッキングブルーの「ヴィーナス」、LPはビートルズの「アビーロード」だった。その後ビートルズは解散してしまった。その頃、先輩の影響でエレキギターを買い(GRECOのセミアコ!GSの影響でしょうか)、ベンチャーズを弾いていた。当時は深夜放送の黄金時代。なっちゃんちゃこちゃんや、土居まさる、亀(現ニッポン放送社長)&アンコーに混じり、フォーク系の吉田拓郎などがパーソナリティとして人気を得た。僕も吉田拓郎に影響され、「今日までそして明日から」などを練習した。岡林好きの友人と、音楽室で自主コンサートを開催。エンディングで歌った「出発の歌」は、延々20分以上にわたる会場と演奏者の一体となった熱演となり、その快感はやみつきとなってしまった。
高校に入り予定通り軽音楽部へ入部。1年の夏休みにバイトして貯めたお金で初めて自分で買ったギターがCHAKI。当時ギターのメーカーなんてほとんど知らなかった僕が、楽器店のメッカ御茶ノ水まで遠征しあれこれ弾いてみた挙句、谷口楽器で薦められたこのギターに心を引かれてしまった。GIBSONスタイルのこのギターのピックガードにひよこのシールを貼り「ハミングヒヨコ」と名づけ、以来僕の一生の宝物となっている。高校ではかぐや姫、チューリップ、井上陽水を経て、3年のときには男二人でNSPやオリジナルをやっていた。その頃僕が住んでいた東京の三多摩地区ではアマチュアのコンサート活動が盛んで、99円コンサートや他校の学園祭にも顔を出し、たくさんの人たちと知り合った。
大学ではクラスの仲間が音楽のサークルを作ったのでそこに参加。実家が群馬の友人にくっついて行って、地元のコンサートでギター2本で陽水をやったり、その後バンドに参加し、イーグルスや山下達郎などをやり、オリジナル曲でEAST
WESTにも挑戦した。地区予選の2位だった。その年の優勝はサザンオールスターズだった。
社会人になってからは会社のレクリエーションのときに伴奏で弾いてみんなで歌う程度で、だんだんと音楽から遠ざかっていくようになってしまった。
再びギターへの思いに火をつけたのは、仕事の関係だった。10年位前からギターメーカーの広告の仕事をやるようになり、僕の周りにはギターに関する情報がいつも流れるようになった。毎月数冊の音楽雑誌を目にするようになり、当然新しいギターを手にするようにもなった。そうこうしている内に4年前にはEpiphoneカジノ、そして2年程前にはついに本物のGIBSON
DOVEを中古ながら入手し、続いてリッケンバッカー、そして昨年末にMatin
D-28を購入し現在に至っている。その他、HeadwayやBacchusなど十数本にもなってしまったギターたちを、カミさんの冷たい視線をよけながら、ケースから出してはボロンと弾き、クロスで拭いたりして愛でているこのごろ。
なかなか発表の場をもてない今は、50の大台に乗る前にせめて宅録で自分の音楽の記録を残したいと思っている。
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