2005年4月9日
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マシュマロのような日々
 
(おかん/45歳/東京)
 


実は僕はギターは弾きません。(弾けません)

吉田拓郎や中村雅俊を歌いながら、PINK FLOYDやEL&Pなんかのプログレのアルバムにどっぷりはまりこんでいたあの頃。早くからギターを手にした周りに出遅れて、キーボードでバンドに参加することになり、絶対音感はあったので聞きかじりのコピーをしながらみんなと音楽してました。

誰が主役ってわけでもなく、みんな自分に一所懸命だったなあ。あのころは。

男子8割の高校では女の子の方がむしろ自然に振舞っていた。女の子っていうよりも妹みたいだったあの子はいつもジーパンで自転車通学。朝寝坊でぎりぎりに教室に飛び込んでくる明るい子で、いつもみんなの輪のどっかにいた。

うちの高校は盆地の中にあったので、周囲に山がたくさんあって、市で運営する「山の家」にクラスや部単位で食料と酒を持ち込んでは一晩ドンちゃん騒ぎ。僕等はそれを「コンパ」と言っていた。

夜中のキャンプファイアーでは飲む奴、歌う奴、踊る奴。山の中でやっているから誰にも迷惑をかけずに思いっきり騒いで酒の飲み方を覚えたもんだ。

そんな時あの子はたいてい明るく笑いながら明け方までしゃべっていた。色気のある子ではなかったけれど、オクテの僕が初めて女の子の肩に手を回したのはそんな夜中のあの子だった。

文化祭での演奏に向けて夏休み、バンドの練習と称して毎日学校に行っていたけれどそれはあの子が時々学校に来ていたから。別のバンドでヴォーカルとしてゲスト出演することになっていたので学校に行けば逢えるかと期待していた。

そんなある日、あの夕立がやってきた。文字通りにわかに暗くなって、雷鳴が鳴り響き、豪雨となり、突然停電した。(あの頃はよく停電した)そしてその時そばにいたあの子は「きゃっ」と叫び、次の瞬間僕の腕の中で震えていた。

田舎の高校生だから、実にそれ以上のことはなかったけれど(今のこのオジサンからは信じられないだろうけれど)あの文化祭の後夜祭に皆で叫ぶように歌っていたのは拓郎の「あぁ青春」だし、その後あの子と幾度か交わした手紙の中で、僕が自分の気持ちを代弁させていたのは伊勢正三の詩だったような気がする。(と書いてあの頃にはメールも携帯も無かったことを思い出してまた感慨)

あれから30年近くが過ぎて今では完全に音楽は聞く立場の人間になってしまいましたが、ひとつひとつの思い出にはBGMのように音楽がセットされています。

音楽が僕の人生を彩ってきてくれていた気がします。

ギターも持っていなくて弾けないのに「戦うオヤジの応援団」なんかに入ってしまってゴメンナサイ。でも音楽に対する愛情はギター弾きのみなさんに負けないつもりなのでヨロシクです。

そんなギター弾けずの自分から、最近読んだ懐かしい気持ちになる小説を一冊オススメします。
出版社:新潮社 著者:恩田陸 題名:「夜のピクニック」
文中に音楽はありませんが、高校時代の気持ちにふっと浸れる小説でした。「山の家」での「コンパ」の晩、酔い覚ましに近くの林を散歩していた時の森のざわめきが甦りました。


 
 
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