「わたしと音楽、私とギター」 |
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(関谷/45歳/茨城) |
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ギターは、小学4年生頃に無理やりやらされ、最初に覚えた曲は、ソルの練習曲の一つだったような気がします。自分の意志で音楽に興味を持ったのは、たぶん小学5年生の頃で「サイモンとガーファンクル」でした。この頃、コードも覚えたような気がします。
中学に入った頃(1972、3年)、世の中は第2次フォークブームだったのですが、前々興味がなくフォークギターも欲しいとは思いませんでした。欲しかったのは、エレキギター。(栃木の那須の裾で育ったのですが、エレキギターを見たことがなかった。)
中学3年の時の文化祭で有志によるコンサートを開くことになり、はじめて2人組のバンドを組み、かぐや姫のコピーをしました。でもギターは相変わらずクラシックのまま。
高校時代は、強制的に合唱部(男子高なので男だけ、最悪)に入れられ、ギターは文化祭の直前に部活の合間をぬって練習した記憶があります。この頃、ブラザースフォー、赤い鳥、五つの赤い風船を聞いていました。でもギターはクラシックのまま。
卒業後、ナターシャーセブン好きの奴と知り合い、私もはまってしまいました。こいつの影響で20歳にして、初めて楽器を買いました。でもマーチンではないのです。
中古のウッドベースです。それから2年間、3人組でナターシャーのコピーをしました。この時、ブルーグラスやカントリーブルースなどを知りました。やっとですが、マーチンが欲しくて、欲しくてたまらなくなりました。夢にまでみました。
忘れもしない21歳のとき、初めてギターを買いました。お金がなかったので中古のギルドD-25。低音がやたら響く最高の楽器でした。でも2年で音が出なくなりました。
23歳、御茶ノ水すずらん通りの中古楽器店、マーチンM38をとうとう買いました。
27歳結婚。嫁さんの兄さんが偶然ギター好きで、ゲイリーデービスから中川イサトまで色々弾いていました。またまた、この影響を受けまして27〜40歳まで中川イサト、小松原俊のコピーをしていました。D-28(3本目のギター)をこの時購入。
37歳の時に現在のところに住みついたのですが、39歳の時、近所のオヤジとギター1本、ボーカル3人の意味不明なフォークバンドを組み、現在、メンバーが若干変わり、ドラム2人、ギター1本、ボーカル2人のもっと意味不明なバンドとなり、年に5回位練習している次第です。
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