2005年8月2日
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「私とアコースティックギター」
 
(aya-yu/45歳/埼玉)

 

私が初めてギターを手にしたのは中学3年生の頃です。この頃は、友人関係のトラブルから不登校状態に陥る等、不安定な日々を過ごしていました。

たまたま父親が、安物のクラシックギターを知人からもらってきて、他に弾く人がおらず、手元において気を紛らわせていたのが始まりでした。始めは単音でぽろぽろと弾いていましたが、和音を押さえるようになると、オリジナルの歌ばかり作っていました。今思うと、思春期はさるでも詩人になれるのではないかと思えてしまいます。

でも、私にとっては、あの頃にギターがあり、歌があったことは何より支えになっていました。私が教員になりたいと思ったのは、この頃です。教員になった理由は、当時の自分自身が「人間の支え」も欲しかったからだと思っています。

教師となって暫くは、ギターは個人の楽しみでした。
でも、O小学校に赴任して、それまでの学校と様子の違うのを感じました。一言で言えば、ギター・バンド大好き人間がたくさんいたからです。職員旅行にバンド機材を持って行ったり、納めの会で演奏したり、PTAとの新年会でも活躍しました。蔵を改造した喫茶店を借りてのコンサートは、一番心に残っています。とてもいい仲間で、一緒に活動するのはとても楽しかったです。

当時のメンバーは、あちこちの職場に散ってしまい、なかなか一緒の活動もしにくくなりましたが、O小学校に赴任してから、私のアコースティックギターとの関りは、職場との距離がとても縮まりました。仕事の合間に趣味の会話が仲間とできるというのは、とても大きな意味を持っていると思います。信頼できる仲間のいることと、自身に自己存在感が感じられること、楽しみが共有できることは自分の幅を広げることにもつながったように感じています。

ところで、音響が得意ということで、仕事上、視聴覚関係を任されることが多くありました。その間に時代はコンピュータ全盛となりました。「行け行けどんどんコンピュータ」という時代に不安を覚えていたこともあり、自分のコンピュータをインターネットにつないで暫くして、教育関係のホームページを作ろうと考えたのですが、作っているうちに、子ども達の個人情報の扱いの難しさを感じて、実験的に、全く関係のない趣味のページの作成に切り替えました。それが“GIBSON MARKSERIES FUN”でした。

インターネットの便利さというのは、予想を超えた展開を人間にさせてしまう面を持っているようです。その予想外の展開に翻弄されることを楽しんでいる自分がいます。ネットトラブルも幾つか経験していますが、実はそれも含めて面白がっています。インターネットは、私のアコースティックギターとの関わりに豊かな知識と広がりを与えてくれましたが、「油断のできない相手」でもあります。

教室でもギターを弾くことがあります。全校音楽朝会でも伴奏したりします。でも、私が弾きたいものと、子ども達の聴きたいものの間には、当然、違いがあり、それもまた楽しいのですが、学校内では「子ども達の為に弾く」ことに決めていますし、音楽係さんの仕事を奪わないようにと気をつけてもいます。

現在の私のアコースティックライフの中心は、年に一度、コミュニティセンターホールを利用したライブコンサートです。クラスの子ども達が聴きに来ることもあれば、以前の職場の仲間も来てくれます。ネット上の知り合いが来ることもあります。友人の中古楽器店のオーナーも参加しています。これまでの私とアコースティックギターとの「関わり」は、今、自然な形でそこにあります。

 
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