2005年10月1日
<エッセイ一覧へ>

「捨てられないギター」
 
(良/49歳/神奈川)


中学に入学した兄が、ガットギターをなぜか(理由が思い出せない)購入し、そのギターを弾かせてもらい、面白さを覚え、ブラザースフォア、PPM、ジョーンバエズのモダンフォークからスタートし、その延長でボブディラン"風に吹かれて"を聞く。中学時代のことでした。フォークの神様と呼ばれたボブディランを知り、フォークギターの魅力に取り憑かれた。中学3年の高校入試間近にお年玉の全額を費やして1万5千円でYAMAHAのフォークギターを買った。弾いている場合ではなかったが、入試勉強の合間はギターを弾き続け、合格後は謝恩会に備えてさらにギターを弾き、友人の力を借りてではあるが、人前で歌うことになった。この時は、ボブディランではなく、当時あこがれたトレーシーハイド主演の『小さな恋のメロディー』のサントラ盤からCSN&Yの『ティーチユアチルドレン』だったように記憶している。

つまり、高校入試の受験勉強のつらさは、フォークギターの金属弦で指が切れるつらさに比べればずっと楽だったのかもしれない(何のこっちゃ)。

高校に入学した頃は、まだ高校で先輩達が反戦フォーク集会なるものを開いていた時代で、ジョーンバエズの反戦歌の意味も分からなかった自分にとっては、単にフォークソングが身近な音楽であった。70年代の初めであるから、吉田拓郎や加川良が自分にとってなぜか共感できた人たちであった。特に加川良さんの歌に惹かれて自宅では毎日ギターを片手に歌っていたが、色気も出てきた頃で、女の子にもてるにはかぐや姫(実際好きではあったが)をしっかりコピーして歌った。

当時はラッパのジーンズをはいて、フォークギターをハードケースに入れて持ち歩くのが格好良く、自分も短い足にはいていたが、良さんがベルボトムは大嫌いと歌ったので、スリムのジーンズに替えた記憶がある。

大学時代は刺激はなかったが、ギターは趣味として弾き続け、相変わらずジャンルはフォーク。確かにアコースティックギターは好きであったが、拓郎、加川良の歌詞に惹かれて歌っていたと思う。もちろん、かぐや姫や井上陽水、さらに泉谷しげるも歌っていた。ただし、自宅や友達の下宿である。

29歳で結婚してほとんどギターを弾くことが無くなり、子供が小学生になった頃に何となく子供にも弾いてほしくて弾くようになった。しかしながら、年に数回のペースで、子供にはバレーボールの道に導いてしまったので、残念ながら3人の娘は誰もギターを弾けない。3人目はまだ小学3年生だから可能性(ちょっとは興味を示している)はあるが、指が切れる思いをさせるつもりはない。

というわけで、15歳の頃に買ったYAMAHAの安いギターを今でも弾いている。34年間の付き合いで、すでに劣化していてかなり強く抑えないとまともな音が出ないが愛着があって(お金もなく)捨てられない。一生つきあうつもりだが、オヤジの応援団に入って新しいギターが欲しくて仕方ない。

宝くじが当たれば、ギブソンのギターを買いたいところだが、現実的には2〜3万のギターを購入したいと毎日財布の中身と相談しています。財布を握られているサラリーマンは辛い。

音楽仲間は今はいませんが、また昔のように気軽にみんなで歌えるようになりたいと思っている今日この頃です。


 
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→