2006年10月20日
<エッセイ一覧へ>

ギターオヤジじゃけんできること
 
(ひげ助役/1959年生/広島)

 
 吉田拓郎氏の「知識」って曲に~♪~年功序列はふるいなどと~ってありましたが、今の世にも仕事が趣味っていうオヤジ、まだまだ僕達の世代には多いんじゃないだろうか?皆さんは?僕もご他聞に漏れず24時間仕事人間でした・・・好きな仕事だったから苦にもならないで・・・裸一貫(死語?)小さい山あり大きい谷(奈落の底ともいう)ありで、なんとか独立して20年超えました。

 そんな仕事人間は継続中なのですが、異変がおきました。原因はギター!72年製サダヤイリYD-303が僕の愛器。そんなオヤジのひとり言をちょっと・・・高校まではバンド活動と勉強を見事に?(ちょっと無理して思い込んでるm(_ _)m)両立させてそれはそれは楽しい高校生活を送りました。・・・それから部屋でたまにギター弾くのが大学までで、勤め始めてからは、しっかりギターは飾り物に、そのうち押入れの片隅へ、そのうち行方不明・・・こんなパターン、応援団の会員の皆さんの中にもよぅけい(広島弁でたくさんの意)おられたんじゃないでしょうか?

 僕がギターをきちんと引っ張り出した?のは昨年(2005)の暮れ・・・そして僕の住んでる広島の呉という街に「くれフォーク村」という(ダジャレが過ぎると思わんで下さい)軽音楽サークルをつくりました。広島フォーク村の発祥の地のお隣(呉市は広島市に隣接してます)で勇気のいるネーミングでしょ?吉田拓郎・浜田省吾・原田真二(敬称略)と時代を繋ぎながら現在もその活動に加わってた方々が中心に地元でご活躍されているフォーク村の元祖的存在。

 呉フォーク村はそんな立派な歴史とクオリティーをもつ広島フォーク村と180度いや360度異次元?のサークルとして設立したんです。村長(くれフォーク村代表の呼び方)と助役の僕と二人でスタートした村も一周年を前に30名を越すメンバーになりまだまだ増えていく勢いです。そのコンセプトは上手いヘタを超えてギター弾けんでもOK!楽器できんでもOK!世代を超えて老若男女問わず音楽大好き人間なら入る者拒まずっていうことでその輪を広げてきました。くれフォーク村が地域活動のサークルであることで、村民一人一人が地元自治会や学校・福祉施設・企業・行政に色んなアプローチしていき、そこいらで路上してる若者がいれば声をかけて、HPを通じてコミニュケーションをとり、オヤジのパワーと老獪さと知恵と経験を武器にとにかく仲間をつくって楽しもうって目的で・・・

 普通なら仲間がいればまずバンド結成ってなりますよね、でもバンド活動ではその輪の広がりはあまり望めません・・・ならば!村長と僕はまず仲間をつくって内輪で楽しんで、おまけに呉の街を歌で元気にしようってことで、バンドでの入村はそのままでいいし、一人でうずうずしてるオヤジ(若者もいます!)を入村の後、村民同士でユニットをつくって楽しむ(もちろんソロも楽しみます)・・・パパズバンド構想です。、そんなときでも強要やコチコチのバンドである必要は全く無く、今日の練習会であわせてみようってくらいの軽い感じで十分!オヤジがアチコチで地域と密着したバンドをつくっていける土壌つくり・・・地名を冠に「○○パパズ」がたくさんできて、一緒に練習して、てづくりライブして、地域でボランティア活動して・・・

 オヤジ一人一人には知恵も経験も資力(許される範囲で・・w)もあります。そんな仲間が3〜40人もいたら、ソリャー大抵の事は出来るんじゃないでしょうか?応援団で言うSPのつくり方の原点を「くれフォーク村」は実現していってる様に感じます。応援団も全国にたくさんの仲間がいます。ただ僕達のように過疎村では地元でてづくりで大切に活動の輪を広げていくことをしていかなくてはと感じます。・・・好きだからこそ出来ることを地道にやっていこうって村長といつも話してます。今年中に呉市の市民公益団体(市民ボランティア団体)に登録する予定です。

 戦うオヤジの応援団のてづくりSPの模範になれるようがんばっていきますので、皆さんのお力添え応援、宜しくお願いします。



エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→