「持続するのは・・・・」 |
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(ハッタマン/1963年生/新潟) |
『下手の横好き』から始めた楽器演奏の趣味も、小学校の鼓笛隊から数えると30年以上が経っている。中学では体育会系希望のはずが、『石の上にも三年』という吹奏楽部顧問の有難いお言葉と共に、身体に似合わないチューバという大きな楽器を持たされ、行進の時はスーザーホーンというアナコンダのお化けみたいな物をまとわりつかされた。
高校の時には、一般の吹奏楽愛好者に混ざって市民吹奏楽団に入団はしたものの、『井の中の蛙大海を知らず』でレベルの高さについていけず、退団を決意したが『千里の道も一歩から』という先輩の励ましに練習に励んだ。さらに、文化系の割には上下関係が厳しく、今の私の人格形成が出来たと言っても過言ではない。
大学では『棚から牡丹餅』的な発想で女性が多いフォークソング同好会に入会したものの『二兎を追う者は一兎をも得ず』で、いつのまにか幽霊部員と化してしまったが喫茶店での弾き語りに精を出すようになり、楽器演奏も吹奏楽からアコースティックギターに変わってしまった。
そして就職、結婚、転職と人生『塞翁が馬』の中、『昔操った杵柄』『芸は身を助く』『類は友を呼ぶ』で、転勤族の私にとって勤務先以外で知人を作るためのツールとなっている。
いずれにしても持続できたのは、『好きこそ物の上手なれ』という目標と家族の理解があったからだと感謝をしている今日この頃である。
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