「NSP三昧な日々」 |
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(こんぶ/1958年生/香川) |
私の中学・高校の頃は、マンガに明け、マンガに暮れる生活をしていました。将来はマンガ家になろうと思って、仲間を集め研究会を主催していました。そこでは同人誌も作っていました。毎月、例会を開いては、同年代の仲間達とああだこうだと、マンガ談義に花を咲かせ、また、互いの作品の批評をしあったものでした。そうした仲間の一人に、中学からの同級生がいました。彼とはマンガを通したつき合い以外にも、様々な場面で行動を共にしました。しゅっちゅう互いの家を行き来するのはもちろん、泊まるといったことも普通にしていました。
そんなある日のこと。私は、彼の作品の仕上げを手伝いに、彼の家に行きました。翌日は例会の日で、同人誌の締め切り日でもありました。なんとしても描き上げねばなりません。もちろんその日は、徹夜も覚悟です。いつもなら、一晩中ラジオをつけているのですが、何故かその日は、彼の部屋にプレーヤーが置かれていました。私は自然に、そこにあった1枚のLPをかけました。
NSPファーストアルバム!
実に、これがNSPとの初めての出会いでした。ちなみに、このレコードは彼のものではなく、彼の姉が結婚して家を出た後に残されていたものでした。しかも、その時、彼の家にあったレコードはその1枚のみでした。したがって、私たちは一晩中「ぎゃぁ〜〜」というNSPcryから始まるファーストアルバムを、何回も何回もひっくり返しては聴いていました。夜明けの日差しが窓から差し込んでくる頃には、私たちはすっかりNSPのファンになっていました。
それから程なくして、私はギターを買いました。今でも使っていますが、ヤマハFG−151です。友人も兄から譲り受けたギターを抱え、二人でNSPのコピーをはじめました。これが、高校1年の頃です。その後も、マンガを描いていましたが、ギターも弾いていました。当時のフォーク・ニューミュージックはだいたい何でもやっていましたが、やはりNSPが中心で、マンガと同じく徹夜で弾くということも何度もありました。NSPは3人編成で、ギター2本にベース1本です。友人と演奏するときはギター2本ですが、それでも十分楽しめます。ボーカルもハモリをつけるなど、楽しかったのを覚えています。しかし、今思えばほんとに近所迷惑な話だったと思います。
やがて大学生になり、友人達もそれぞれの進路に進んでバラバラになりました。私は、マンガ家になることがほんとに夢だったと思い知らされ、より堅実な選択を迫られるようになりました。そんなときでも、NSPの歌はひとときの安らぎを与えてくれました。
あれからすでに、30年以上たちました。その間にリーダーの天野さんが亡くなるというショックなこともありました。でも、これからもずっと、1ファンとしてNSPを歌い続けていこうと思っています。
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