2007年6月27日
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「誰が為にギターを弾く」
 
(かっちゃん/1962年生/大阪)


事務局の山下さんに「リレーエッセイ執筆依頼」を受けたのが今年の2月頃。すぐに書けそうになかったので、暫しお待ちをメールさせて頂いたのも同じく2月頃。早、季節は夏到来(笑)。この場を借りて山下さんにお詫び申し上げたい(苦笑)。

さて、このリレーエッセイをお引き受けした際に「何を書こうか?」と思い、他の皆さんがテーマにしておられる中で「ギターとの出会い系(すごいタイトルですね(笑))」が多いことから、やはり無難にそれに合わせようと思った。(ホントは他に題材を思いつかなかった(笑))

そこで改めて記憶を辿ることにしました。つまり、ギターにおける自分探しの旅ですな。実は、このリレーエッセイの依頼が来る前に、僕はSNSであるmixiで似たような題材で日記を書いた。その際にギターを弾き始めた動機として「女の子にモテたいから」と書いた記憶がある。これは間違いではないのだが正確には「(元々)女の子にモテている奴らがギターを弾いていたから」だと最近になって思い出した(笑)。

初めてギターを弾いている人を意識的に見たのは小学生6年の時。恐らく、何かの学校行事だったのだと思う。同じクラスメートの何人かがギターとピアノでビートルズを演ってみせたのだ。それも体育館のステージで!多分、演奏も歌もメタメタだったと思うのだが僕にはとてもかっこよく、しかも女子生徒の黄色い声を浴びている姿は正直、羨ましかった(笑)。多分、僕はそれを見て「ギターが弾ければ女の子にモテるんだ!」と思ったに違いない(笑)。

ただし、彼等は普段からモテていたのだ。ギターなんか弾かなくても勉強が出来るか、リーダーシップがあるか、スポーツが出来るかという天性の要素を備えていて。この辺り、僕は100%勘違いをしていたのである(笑)。(余談だが、この後の人生で似たような勘違いはたくさんある。「カッコいい服を着てれば」、「バイクに乗っていれば」、「クルマを持っていれば」等々。モテる奴はヨレヨレの服を着ていても、バイクやクルマなど持っていなくてもモテるのだ(苦笑)でも、僕以外の世間一般男性も同じ勘違いをしてきたに違いない(笑))

しかし、モテる(と確信している)アイテムであるギターをすぐに手にすることは無かった。多分、自分の手元にそのような神器(笑)がくるなどということは自分を取り巻く生活から想像も出来ず、また違うものへの興味もあったのであろう、すぐに忘れてしまった。

実際にギターが手元に来たのは、初めてギターを弾いているのを見てから3年後、中学3年生の時である。そのギターはとてもギターなどに縁が無いであろうと思っていた叔父が持っていた(苦笑)。恐ろしく弦高の高い無名のギターではあったが、嬉しくて僕はそのギターを風呂敷に包んで母の実家があった兵庫県伊丹市から電車〜新幹線〜電車と乗り継ぎ、当時住んでいた東京まで持って帰ったのだ(笑)。それからは受験の時期だというのに教則本を買って来て、連日ギターを弾いて母親に叩かれていた(笑)。当然、成績は激しく落ちていった(もっとも、元々成績が高かった訳じゃないんですが。。。)そんな僕を見ていたから、僕の子供に僕の母親は「ギターだけは絶対弾いたらあかん!」が口癖である(笑)。

何とか(?)無事に高校を合格した僕のギター熱は冷めることなく、続いていた(笑)。心優しい親戚をもつ僕の元に聖徳太子の顔が入った紙がいくつか「お祝い」として届き、それを元手に僕は手元にあった恐ろしく弦高の高いギターから、弾き易いギターを買うことにしていた。

自分の手元にあるギターが弾き難いものだということを知ったのは同級生が持っていたヤマハのギターを弾かせてもらい、その弾き易さに驚いたのだ。「いいギターって、こんなに弾き易いのか!」である。(実際はそんなにいいギターではなかったのだが。。。)

で、買おうとしていたギターはヤマハのギターが弾き易く感じたからでは無かったのだが、ヤマハのギターを買うことに決めた。「では、何故?」であるが理由は至って簡単。「コピーモデルじゃないから」である。当時、国産のギターは殆どがマーティンのコピーモデルであった。マーティンは既に知っていたギターで当然、欲しいとは思っていたがいくら何でも買えるほどの寄付金は集まっていなかった(笑)。そうなると天邪鬼の僕は「コピーモデルは嫌だ」ということで国産ギターの中でオリジナリティを追求していたヤマハを選んだというわけ(苦笑)。で、僕が選んだのがヤマハのL−10というギターであった。

このギター、悲しいことに僕の不注意でトップを割ってしまったことのあるギターである。当時、高校にギターを持っていくことが流行っていて、僕もご多分に漏れずギターを学校に持っていっていた。いつもは最寄り駅まで歩いて行くのだが、この日は時間が無かったので自転車でギターを持っていったら、あろうことか途中でコケてしまいギターをハードケースごと落としてしまった。学校に着いてから、ケースからギターを出すとギターのトップは少し割れていた。。。その後、保障期間ということで無償で購入した楽器屋で治してもらったが、それ以来、ギターを外に持ち出すときには絶対に歩いて持っていくことにした。

さて、高校ともなるとギター人口は飛躍的に増えた。但し、圧倒的にエレキ・ギターの人が多かった。これは当時の音楽シーンがフォークソングというものから、ニューミュージックというものに移行し、アコースティック・ギターよりもエレキ・ギターの方がニューミュージックでは主流になっていたように思える。(そのエレキ・ギターもコンピューターを積んだキーボードに台頭されてしまうのだが。。。) それでも、学園祭や当時付き合っていた彼女の前でL−10でフォークソングを弾き語ったものだ。

高校3年生にもなると進路を決める季節となり、本来はギターどころでは無いはずだが受験勉強の合間に、正確にはギターを弾く合間に受験勉強をして物の見事に僕は大学受験に失敗してしまい、浪人生活に入ることになった(笑)。

浪人生活の頃から、一応退け目を感じてギターを弾く時間は減り始めた。(といっても受験勉強をする時間が増えたわけじゃ無かったのだが(笑)) それでも何とか一浪で大学に入ることができ、晴れて僕はギターを誰に気兼ねなく弾ける時間が持てるようになった。大学入学と同時に入ったサークルは「フォークソング部」であった。ところがこの部、名前だけは「フォークソング部」なのだがやっていたのはミュージカルのように踊って歌うことを活動としていた。

その当時、フォークは暗いと言われた時代である。何よりも「暗い」と言われることを嫌う若者たちは「フォークソング部」という名前を払拭すべく、そのような活動をしていたのだと今になって思う。でも、僕はそんなことがしたいとは思わなかったのですぐに退部した。。。その後、違う音楽系サークルに入ってもよかったのだが僕も「暗い」と言われることを嫌ったのだろう、音楽系のサークルには入らずその当時、流行っていたサーフィンのサークルに入ってしまった。ギターは時々、思い出したかのようにケースから取り出し弦を張り替えるだけで弾くことがなくなってしまった。。。

社会人になってからもギターが趣味といった状態にはならなかった。だが、どこかで繋がっていたかったのかもしれない。その後も気まぐれ的に新しいギターを手元に置いたりしていた。(L−10は実家に置いていて、転勤族になった僕は転勤先で新しいギターを手
に入れたりしていた)

それから20年近くが経った。たまたま、チャットで知り合った人がライブハウスを経営していて、チャットで知り合った人が演奏しているのを見て、僕も久しぶりにギターを弾いてみたいという衝動に駆られた。そして、実家にあったL−10を自宅に持ち帰り少しずつ弾き始めた。といっても、自宅限定である。それと同時に若かった頃に欲しかったマーティンが欲しくなり、カミさんを拝み倒して70年代のD−28を買った。その後、試奏もしないのに一目惚れしたD−18GEを買い(ギターに一目惚れしたのは後にも先にも、このギターだけである)、小ぶりなギターが欲しくなり000−28ECも購入してしまった。

元々、腕前なぞ全く無い僕。かき鳴らすのが精一杯である(笑)。ギターを弾くと家族に疎まれている僕は誰が為にギターを弾くのか???それは自分の心の為に弾いているのである。あの頃の思い入れをもって今夜も疎まれながらギターを弾いて歌ったりするのである(笑)。

でも、そろそろ外に出てギターを弾いて歌ってみたいかな?と思うようになった今日この頃です(苦笑)。



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